ピアノ猫の散歩道

ピアノ猫の散歩道

趣味のピアノを半世紀以上続けている男の道程

ご訪問ありがとうございます。

私は今年還暦を迎えましたが、いまだに趣味でクラシックのピアノ作品を引き続けています。

これを機に今まで勉強した作品の中で、とくに好きな曲についてまとめておくことにしました。

作品解説は、カテゴリー別(独奏曲・ヴァイオリンソナタ・室内楽・協奏曲)に並べてあります。

各曲についての演奏法や思い出など、ピアノ愛好家からのコメントを頂ければうれしいです。


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数あるピアノ協奏曲の中でも、チャイコフスキー・ピアノ協奏曲第1番は、最も有名で、傑作とされる曲の一つである。私の両親は、ピアノ協奏曲の名盤を集めていた。まだLPレコードの時代だ。私は高校の時、その中にヴァン・クライバーンが演奏した、チャイコフスキー第一番を見つけた。彼が第一回チャイコフスキー国際コンクールで優勝した直後の凱旋録音。キリル・コンドラシン指揮RCA交響楽団との共演だった。聴いて激しい感動を覚えた。魂を揺さぶられたと言っても過言ではない。繰り返し聞いて、飽きることがなかった。


自分でもこの名曲を弾いてみたくなった。さっそく楽譜を買ってきて譜読み。聞きしに勝る難曲だ。作曲者がピアニストではないこともあり、ピアノにかなり無理な奏法を求めている箇所もある。前にも書いたが、私がオケと共演した唯一の協奏曲は、モーツァルト第27番「戴冠式」。この成功のおかげで、ベートーヴェン第5番「皇帝」を共演する話も持ち上がった。しかも二度も。ピアノパートは仕上げた。しかし二度とも支障が生じて、共演は実現しなかった。「戴冠式」や「皇帝」が弾けると言っても、チャイコフスキーは段違いに難しい。


それでも練習に練習を重ねた。そうこうするうちに、ピアノパートは《あるパッセージ》を除いて、ほぼ完全に弾けるようになった。あるパッセージとは、例によってオクターブの連打(しかも両手)が続く10小節。一楽章の展開部にあるピアノソロの中に出てくる。三楽章のコーダ直前にも9小節ある。この部分が、どうしてもクライバーンの弾く速度と滑らかさでは、弾けないのだ。「そんなこと、当たり前ではないか?」と言われてしまいそうだ。彼は何と言ってもチャイコフスキーの優勝者。しかし同じ人間なのに、同じように弾けないのは悔しい。


だいたい、コンサートで弾く機会が99%ない作品に、エネルギーを費やすのはバカげているかもしれない。何のために山に登るのかと聞かれた登山家が、そこに山があるからと答えたと言うが、その心境に似ている。熱心に練習する上の最大の動機づけは、人前でうまく弾くという目的だ。しかし、それがなくても、熱心に練習してもよいではないか。私はこの作品が好きなのだ。第一楽章のあの有名な序奏が、ではない。抒情的な第二主題とその展開、ピアニスティックなカデンツァ、コーダの盛り上がり。弾けた時の喜びは最高である。


ピアノの曲を仕上げる過程は、高い山に登るのに似ている。登山道は、途中まで鬱蒼とした森におおわれている。最初は全く視界がきかない。どこまで登ったのか、あとどのくらい歩くのか、皆目見当がつかない。しかし一歩一歩進んでいるうちに、突然森林限界を超えて眺望が開ける。この時の感激は何ものにも代え難い。頂上まではまだ遠い。しかしここまで来ると、めざす目標が見えてくる。ただ最後の胸突き八丁で苦しい。人前で弾く機会が少ない私は、大体このあたりで休憩している。それでも、山に登る喜びは味わえるのである。

私のブログ記事は50回を超えた。大半は当然ながらピアノ独奏曲だ。最後にオケと共演したピアノ協奏曲として前回、モーツアルトの「戴冠式」を取り上げた。きょうはオケと共演したことがなく、今後もする予定がなさそうな協奏曲についての思い出を書いてみたい。


ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」。この曲は練習を重ねてオーディションまで受け、オケとの共演が二度実現しそうになりながら、二度とも機会が失われてしまった、私にとっては涙と幻のピアノ協奏曲である。二度目に流れた話は、「戴冠式」の補遺でその事情に触れた。そのはるか前、学生時代にT大オケに所属していた時に、最初の失意があったのだ。


ある夏、耳寄りな話が聞こえてきた。冬の定期演奏会で「皇帝」をやるので、ピアニストを探しているというのだ。私は真っ先に手を挙げた。練習のかいあってオーディションに合格したが、結局この話は流れた。「皇帝」にトロンボーンのパートがないから、という奇妙な理由からだ。ところが翌年の演奏会の演目に「皇帝」が入った。あろうことか、同学年の女子部員がピアニストに選ばれた。


自分の心の醜さを承知の上で告白する。人生であの時ほどショックを受け、嫉妬心を持ったことはなかった。選ばれたピアニストがプロまたは私よりも腕が上なら諦めもつく。しかし私はその女の子のピアノの腕が、私と同程度と思っていた。現実を受け容れるのに、長い時間を要した。若い私は、勉強もピアノもできる同年配者に対し、敵意にも似たライバル意識を持っていたのである。


回顧談が長くなったが、この挫折を契機に、その後のピアノ人生で私は謙虚になった。地道な練習を重ねることの大切さも学んだ。「皇帝」は、ショパン、シューマン、チャイコフスキー、ブラームス等、19世紀を代表し、雲のごとくそびえるノ協奏曲の名作と比較すれば、技巧的に弾きやすい。しかし譜面通りに弾ける事と、演奏会でオケとの共演ができる事との間には、大きな隔たりがある。


ベートーヴェンのピアノ協奏曲のうち、第3、第4、第5番はどれも好きだ。中でも第4と第5番は曲想がかなり違うが、それぞれに良さがあり甲乙つけがたい。ファンファーレの連続のような「皇帝」を好まない向きもあるが、雄大で快活で威風堂々とした1楽章と3楽章、抒情的で限りなく美しい旋律の2楽章は、いずれも傑作中の傑作。聴く方のお気に入りはルドルフ・ゼルキンの演奏だ。


オケとの共演が叶わないピアニストの次善の策は、二台のピアノによる連弾だ。だがその実現は簡単ではない。人の助けを借りない方法として、プロ演奏のCDに合わせて弾いたり、自分でオケパートを弾き、その録音に合わせて弾いたりする。いずれも問題があるがそれなりに楽しめる。ピアノ曲以外では、ヴァイオリン協奏曲のオケパートをピアノで弾き、ヴァイオリンと合わせるのも楽しい。

私は生涯で一度だけ、ピアノ協奏曲を公開演奏したことがある。大使として中南米某国に赴任していた2005年7月23日、私が独奏ピアノを担当し、任国の国立交響楽団とモーツァルト・ピアノ協奏曲第26番「戴冠式」を共演したのである。年一度の「日本週間」の開幕行事としての無料演奏会だった。外務大臣夫妻を初めとする政府高官、各国大使らが、3百人の聴衆と共に聴きに来てくれた。


同年2月、私のピアノ歴が長いと聞き、国立響の指揮者が共演の話を持ちかけたのが、そもそもの発端だ。機会があれば、ぜひオケと共演してみたいと以前から願っていた私は、渡りに舟と請け負った。この時の話では、まず日本週間の演奏会でモーツァルトを合わせ、それが首尾よく行けば、国立響の定期演奏会で、ベートーヴェン・ピアノ協奏曲第5番「皇帝」を弾くという話になっていた。


やると決めたからには、徹底して練習しなければならない。「戴冠式」のピアノパートは、技巧的にはさほど難しくはないが、完璧に弾かなければならないし、暗譜しなければならない。古典的協奏曲なので、ピアノが休みオケだけの部分があるが、これも概略覚える必要がある。最後にカデンツァ(第1・第3楽章の終止直前にピアノが独奏する部分)で、衆人環視の的となる覚悟が求められる。


2月から7月まで、外交官の仕事をこなしつつ、帰宅後はひたすらピアノに向かうという猛練習モードになった。平均週2回は、私は公邸での夕食会を主催していた。その晩は練習が殆どできない。勢い夕食会などのない週末は、日に5時間、6時間の練習は当たり前になった。サロンでグランドピアノを弾くと、大きな音はプライベートの居室まで丸聞こえだ。妻も娘もよく我慢してくれたと思う。


オーケストラとのリハーサルが本番直前までないのも大問題だった。オケとの共演経験があり、慣れているピアニストならそれでいいのだろうが、私には初めてのオケとの共演だけに不安があった。CDのオケ演奏にピアノを合わせる練習を繰り返した。暗譜については、3つの楽章の構造を分析し、理屈で覚えるように努力した結果、演奏時間30分の「戴冠式」を何とか覚えることができた。


国立響の指揮者はアメリカに住んでいて、本番直前まで不在だ。リハーサルは本番前日に1回、当日に1回の計2回だけ。心配だからもう一二度増やせないかと聞いたら、「自分は何度も弾いたことがある曲だし、オケの方でArthurさんのピアノに合わせるから問題ない」との気楽な反応が返ってきた。果たして最初のリハで、私は緊張のあまり、独奏ピアノが出て数小節で止まってしまった。


最初に躓いたのは、恐らくメンタルな問題だったのだろう。気を取り直して弾き直し、今度は全曲通しで弾けた。これなら何とかなりそうだと思った。いよいよ本番。大勢の人が注目している中、まばゆいばかりの照明を浴び、緊張が否応なしに高まった。第1楽章の提示部が終わる頃には、落ち着きを取り戻し、その後は全曲無難に弾く事ができた。万雷の拍手を浴び、安堵と満足感を味わった。


演奏終了後、ホールでレセプションが開かれる。指揮者やコンマス、各パートのトップの方々とも改めて熱い握手を交わす。参列者から惜しみない称賛の声をいただいた。「最初この演奏会の話を聞いた時、日本週間なので日本大使が主催ということは分かったが、大使自らがオケと共演と聞き、耳を疑ったよ」と皆異口同音に言う。前代未聞の演奏会は、かくして何とか成功裏に終わった。


(補遺) モーツァルト・ピアノ協奏曲の成功を、オケとの次の共演につなげたかったが、指揮者の都合で、追加の定期演奏会は開けなくなった。いくら日本週間の開幕演奏会が成功裏に終わったからと言って、大使がピアノの稽古に明け暮れていると東京で評判になるのはよくないと、私も思い始めた。少し間を置いてと考えているうちに帰朝命令が出て、「皇帝」の共演話は幻に終わった。

ピアノ・クィンテットの話を書いた時に、シューベルトのピアノ五重奏曲「鱒」について触れなかった。同じ五重奏と言っても、構成が変わっていて、通常の弦楽四重奏ではなく、バイオリン、ビオラ、チェロにコントラバスが入る。こういう楽器構成の曲は珍しい。低弦楽器がもう一本加わることで、より音域の広いダイナミックな曲になる。「鱒」の第四楽章は、歌曲の「鱒」のテーマの変奏曲。ハ長調で音名を書けば、♪ソ・ドドミミ・ドーソソ・ソーソレッドシラ・ソー(ソは低いソ)...で始まるおなじみのメロディーである。


この変奏曲は聴衆には簡単そうに聞こえる。ところが、弾いたことのあるピアニストはご存じと思うが、実はこの変奏曲のピアノパートは大変弾きにくく、ピアノパートが弦の足を引っ張りかねないトリッキーな曲なのである。さほど技巧的なのではないが、ピアノのことをよくご存じなかったと言われる大シューベルトが、何でもかでもユニゾンにしたので、ピアニストだけが四苦八苦するという羽目になる。



Chopinのブログ-シューベルト「ます」を弾く

室内楽は指揮者がいないから、誰がリードしてどう演奏をまとめていくかが重要。私の仲間四人は某オケ所属のプロの演奏家だったが、国籍も三か国に分かれ共通言語が英語。コントラバスのみ女性で他は男性。以前、アンサンブルは楽しいと書いたことがあるが、楽しくなるかどうかはメンバーのウマが合うかどうか次第という、当たり前のことを痛感した演奏体験だった。われわれ五人のうち、バイオリンとチェロの奏者が個性的で、楽譜の解釈などで意見が食い違うとなかなか譲らず、ハラハラさせられた。


独奏に慣れたピアニストが室内楽をやると、音量のバランスを取るのがまず大変である。私はチェロが主役のパッセージで、ピアノうるさすぎと何度も言われ、ここでpp出すの難しいんだよと反論したかったのを我慢するのに苦労した。コンチェルトじゃないんだから、ピアノばかり目立っても仕方ないと言われて悔しかったが、だんだん他のの楽器を聞きながら弾けるようになった。そういう意味で室内楽は勉強になる。でも本当にバランスの取れた演奏になったかどうかは、聴衆のご判断を仰ぐのが一番だと思う。

ピアノ協奏曲はプロでないと弾く機会がまずないので、その疑似体験ができるピアノ五重奏曲にはまっている。1996年のドボルザークに始まり、翌年はドホナーニ、2005年にシューベルト「ます」→ここ )、2007年にシューマン、2008年に再びドボルザーク、そして昨年11月にブラームスまでこぎ着けた。これ以外のフランクやショスタコーヴィッチの五重奏曲は、将来の夢である。


私がピアノ五重奏に魅せられたきっかけについては、半年前に書いた通り→ここ )である。職場の愛好家が作った弦楽四重奏団に、ドボルザークのP5やりませんかと誘われた。ブログ開始直後ゆえ読んでいない方が多いと思うので、押し売り販売のようだが、リンクを張っておく。この弦楽四重奏団→ここ )は私とドホナーニも弾いたが、女性メンバーのお産などで解散してしまった。


ブラームスのピアノ五重奏曲ヘ短調作品34は、彼が31歳の時の作品。最初この曲は、ヴァイオリンとチェロ各2本の弦楽五重奏曲として試演された。これが不評で、2台のピアノのためのソナタ作品34bに書き換えて、ブラームスのピアノで初演された。その後クララ・シューマンの助言で、さらにピアノ五重奏曲にも書き換えられた。ブラームス最高傑作の一つとの定評がある曲だ。


ブラームスの作風は重厚で暗い。冬の北ドイツの鉛色の空でも見るような気分である。あるドイツ人はモーツァルトやベートーヴェンならともかく、日本人にブラームスが分かってたまるか、と言ったそうだ。ところが日本人ほど、ブラームスが好きな非ドイツ人もいない。彼の渋い作風が、なぜか日本人好みである。


第1楽章冒頭から、暗さと情熱と威厳のブラームスが全開である。ブラームス好きであれば、以下に掲げる最初の13小節を聴いただけで、もうこの曲の虜になるだろう。ピアノの活発な音型は印象的だが、技巧的にそれほど弾きにくい訳ではない。難曲ではあるが、名ピアニストだったブラームス自身が、難しくて弾くのに苦労したという、彼の2曲のピアノ協奏曲ほどではないのだ。


第1楽章は第1主題も暗いが、第2主題も暗い。重厚さが少し和らぐ程度だ。それをまた最初から繰り返すので、ブラームスを好まない人はこの辺で飽きてくるだろう。展開部は強弱、緩急のコントラストが激しい。情熱が高揚したところで再現部に入る。変イ長調の第2楽章は、抒情的で穏やかで柔らかい。優美さとほの暗さが交錯する。渋く静かに暮れていく晩秋の夕べのようだ。


第3楽章は軽快で生気のあるスケルツォだ。ピアノは重い和音で全体をリードし、打楽器のように連打を繰り返してクライマックスを作り上げる。第4楽章は暗くて重い序奏から始まる。ピアノとチェロによる静かな第1主題から、激しいパッセージへと盛り上がる。ピアノの譜読みに苦労するところだ。シンコペーションの激しいコーダは、魂を揺さぶられる最も印象的な終結部である。


私はこの曲を仕上げた達成感で、演奏会直後の数日は、ピアノに触れなかった。これぞブラームスという名曲だと思う。全楽章ともすばらしいが、中でも第1、第4楽章は逸品である。演奏時間が40分以上の大曲なので、ちょうど1年前の演奏会のプログラムは、前半はフランクのヴァイオリンソナタ→ここ )、後半はこの曲と、2曲だけのプログラムにした。それで十分満足だった。

私がピアノ五重奏曲を演奏した際、いっしょに弾いてくれた共演者は、プロもあればアマチュアの弦楽四重奏団もある。その中で異色なのは、同じ霞が関の勤務先の中で結成されていた某弦楽四重奏団と、トヴォルザークの大曲「ピアノ五重奏曲第二番イ長調」を公開演奏会で弾いたことだ。第一バイオリンとチェロ、ピアノが男性で、第二バイオリンとビオラが女性という構成だった。弦の四人はそれぞれに名手だが、私と同じく普通の大学を出たアマチュアの弾き手である。それが仕事の合間に練習を重ねて、何とか人前で弾くところまでこぎ着けたわけだ。


五人そろっての練習は、当然ながらピアノがなければできない。全員の都合がつく週末に、わが家に集まってもらった。首都圏の住人なので、片道二時間近くもかかる人もいて、五人が集まるだけでも大変。それでも、平均月二回の週末練習に加えて、大型連休には八ヶ岳山麓の練習スタジオでの一泊合宿まで敢行し、何とか半年でコンサートを開いて恥ずかしくない出来にはなった。もっとも、場所が公民館で安いので、入場料は無料にした。だれ一人勤めを休むことはなく、海外出張などの激務もこなしながらの綱渡りだったが、かろうじて間に合った。



Chopinのブログ-Ensemble Naturel演奏会


プログラムは、前半がドヴォルザークの弦楽四重奏曲「アメリカ」とバイオリンとピアノのためのソナタヘ長調、休憩をはさんで後半がピアノ五重奏曲とドヴォルザークづくし。チェコを代表する作曲家の作品のみ取り上げたコンサートには、在日チェコ大使がわざわざ来場し祝辞をくださった。またこれを契機に、チェコ独立記念日レセプションの記念演奏まで頼まれた。素人楽団のコンサートにしては出来ばえも好評で、来場者は三百人。「上出来」、「これほどのコンサートなら有料でも来たよ」とか言ってくれる人も多く、猛練習の苦労も報われた次第である。


初コンサートの成功にすっかり気をよくして、二匹目のドジョウを狙いたい気持ちもあったものの、二の足を踏んでいるうちに、公開コンサートは実現しないままに終わった。と言うのも、やはり全員がそろう練習時間を確保するというのが、勤め人では簡単ではないという問題がある。そうこうしているうちに、私が三年間海外に勤務することになり、代わりのピアニストを見つけたと思ったら、今度はビオラの女性が出産、育児休暇になったりして、けっきょく雲散霧消してしまった。やはり職場の仲間五人が弾く室内楽コンサートは、幸運なくして実現しないようだ。

何年か前に、職場の弦楽四重奏団から、いっしょに五重奏やりませんかと誘われた。それまで一度も弾いたことがないジャンルだったが、面白そうだと思って、半年かけてドヴォルザークのクィンテットを仕上げ、世田谷区民会館で演奏したら好評だった。それ以来シューマン、ドホナーニと挑戦し、クィンテットにやみつきになった。


長いこと私の夢は、オケとコンチェルトを弾くことだった。幸運にもその夢は実現した。某交響楽団とモーツァルトの27番コンチェルト「戴冠式」を弾く機会に恵まれたのだ。30分全曲を暗譜するのが大変だったし、何とか弾き終え、人生で初めて指揮者やコンマスと握手した時の興奮、充実感は、何ものにも代え難いものがあった。


しかし、アマチュアの私にとって二度目の幸運は当分来そうにもない。もしかしたら生涯来ないかもしれない。もしそうだとしても、私にはクィンテットがある。弦楽との協奏の楽しみは、クィンテット、あるいは室内楽一般で疑似体験することができる。とくにピアノ五重奏は構成も曲想も雄大で、ピアノパートの責任も協奏曲並みに重い。


Chopinのブログ-アルマ弦楽四重奏団と

Chopinのブログ-シューマン・ピアノ五重奏曲を弾く


最近はブラームスのクィンテットをアルマ弦楽四重奏団と合わせた。ブラームスらしく渋くて重厚で、私の一番好きなクィンテットだ。しかもピアニストにとっては、(二曲のピアノ協奏曲を除き)技巧的にも音楽的にも最高の何度の曲である。譜読みを始めてから、公開演奏にこぎ着けるまでにまる一年かかったが、楽しい一年だった。


私が室内楽の指導を受けた某マエストロは指揮者だ。84才の現在もかくしゃくとしていて、2月に1度位の頻度で客演指揮者を務める。書斎には大きな書見台があり、毎日スコアを拡げては研究に余念がない。このお爺さんに言ってはいけない事は、CDではこう弾いていましたというセリフ。途端に不機嫌になり、「それならCDを聴いて練習して。僕は何も言わないから」と仰る。


私もあまり巨匠のCDを聴かない。少ない自由時間は、CDを聴いて楽しむことよりも、自分の練習に充てたいと思う。知らない曲の練習を始める時は、CDを聴いて参考にする事はある。しかし譜読みが出来上がってくると、生意気を言うようだが、他人の演奏を繰り返し聴く事は、私の自由な曲想作りの妨げになる。たとえ巨匠でも、他人の演奏のコピーでは満足できないからだ。


もう少し可愛げのある事を言うなら、プロの演奏の多くは速すぎて、技巧において劣る私には適さないのだ。昨今の演奏家は、アルゲリッチに代表されるように、ますます速く弾く傾向にある。速度だけプロに近づけても、味のある演奏は期待できない。もちろん間延びするような演奏はよくない。しかし遅くする所はうんと遅くして、緩急をつけるようにするのが、私のスタイルなのである。


話を具体的にするために、以下にメンデルスゾーンの「ピアノ三重奏曲第1番ニ短調」第2楽章の、冒頭8小節を掲げる。この楽章はピアノのソロによる第1主題の提示で始まる。9小節目からバイオリンとチェロが加わって、第1主題を繰り返す。この夢見るように美しい8小節をどう弾くかが、ピアニストの私にとっては勝負なのである。ピアノの入り方が、楽章全体に影響するからだ。


Chopinの散歩道-メントリ2楽章


私の弾き方はこうである。ピンク色で表示した所は、インテンポより遅くする。Aと記された所では加速する。ピンクの所に来るとまた減速。この伸縮を繰り返す事により、全体として【四分音符=60】程度に調整する。(写真のペーターズ版の楽譜では、72と指示されているが、明らかに速すぎる。)ピアノがこういう緩急をつけて主題を提示することで、より抒情的な緩徐楽章を作れるのだ。


市販のCD演奏を聴くと、こんな緩急をつけた入り方をするピアニストは少ない。淡々と(しかも速めの速度で)主題を提示し、淡々と弦が入る。縦の線は寸分の狂いもなく合っている。しかし音楽としては面白みがない。劇的な1楽章のあとの中休み、という雰囲気になる。もちろんピアノトリオは3人の呼吸が合わないといけないので、私の曲想に弦の2人が同意していただく必要がある。


室内楽曲は、縦の線が合わないと音楽にならない。しかし縦が合うだけでも音楽にはならない。音楽には旋律の流れがある。流れは一様ではない。弾んだり淀んだり、また流れ出したり、変転自在の筈だ。緩急をつけた曲想が大切なゆえんである。楽器を弾きながら歌うようマエストロに勧められた。こういう緩徐楽章では、旋律を歌わせるためにも、歌いながら弾くように心がけている。

大使公邸のサロンには、グランドピアノが備え付けてある。ヤ○ハのベビーグランドだが、自分の住まいにグランドピアノがあって自由に弾けるなど、私にとっては夢のようなことだ。人生52年にして初めて叶った夢なので、毎日何時間も弾いては、妻から「仕事そっちのけでピアノ三昧。東京(本省)に聞こえたらどうするの?」と脅かされた。外交官としての仕事も一応はしたが、帰宅するとピアノだった。


練習には目標が必要だから、公邸でホームコンサートを開いて腕を披露し、文化外交の一助としたいと考えた。しかし、ソロで通す自信はないし、面白みに欠ける。幸いにも、国立交響楽団の前常任指揮者A氏の奥様で、バイオリニストのB女史を紹介された。B女史は国立響とブルッフのVn協奏曲を共演するほどの名手。バイオリニストでもあるA氏の指導を得て、B女史とリハーサルを繰り返した。


プログラムは、前半が宮城道雄の「春の海」とベートーヴェンのバイオリンソナタ第5番ヘ長調「春」、後半が清瀬保二のバイオリンソナタ第3番である。「スプリングソナタ」は弾いたことがあるが、コンサートで弾くのは初めてであり、大変勉強になった。私も初めて聞く清瀬保二の現代作品を取り上げたのは、B女史のアイデアだ。日本大使が披露するのだから、日本人作曲家の作品をという訳である。


本番には40名の政府高官や各国大使が詰めかけてくれた。練習のかいあって、初めてのホームコンサートは成功裏に終わった。厳しい指導で知られるA氏にも褒められた。ピアニストでもある外務大臣が奥様同伴で来てくれたし、新聞文化欄に記事を書く音楽評論家が、「各国大使公邸には何度も行ったが、大使自身のピアノでのホームコンサートは初めてだ」と言い、続けるよう励ましてくれた。


Chopinの散歩道-大使公邸コンサートでの挨拶
(写真:公邸コンサート主催者として挨拶する日本大使の私。もちろんスペイン語で、セリフはまる暗記。暗譜より難しかった。2007.7.14)



一回目の成功に気をよくして、翌年にはさらに大がかりなプログラムで、ホームコンサートを開いた。B女史が率いるプロの弦楽四重奏団の参加を得て、前半はハイドンの弦楽四重奏曲とプロコフィエフのバイオリンソナタ第2番、後半はシューマンのピアノ五重奏曲を演奏。私はプロコフィエフとシューマンだけだが、第一バイオリンのB女史は全曲出演。毎週末にリハーサル。仕事よりピアノに熱が入った。


2007年7月14日に公邸で開いた二度目のホームコンサートは、まずまずの結果だった。参会者は一回目を上回る60名。ただ難曲のプロコフィエフは相当練習したのに、本番ではやはりミスタッチが出た。B女史には休憩時間に小さい声で「申し訳ない。」と謝った。彼女は「いいのよ。気にしないで、後半がんばりましょう。」と言ってくれた。シューマンは完璧で、自分でも大変満足のいく演奏だった。


Chopinの散歩道-大使公邸コンサート
(写真:大使公邸での「室内楽の夕べ」で、シューマン作曲の「ピアノ五重奏曲 変ホ長調作品44」を演奏する。2007.7.14)


シューマンのピアノ五重奏曲に続いて、その後ドボルザーク、ブラームスのピアノ五重奏曲を、同じ弦楽四重奏団と今度は公開演奏会で弾くことになる。これらの大作の演奏を仕上げる上で、A氏は懇切丁寧に指導してくれた。これらのピアノ五重奏曲は、コンチェルト並みの技巧と表現力を求められる。アマチュアの私がこの領域にまで達することが出来たのは、A氏・B女史夫妻のおかげである。


公邸にグランドピアノがあったおかげで、私の練習にも熱が入り、大使在任中に室内楽コンサートを何度も開くことが出来た。私の共演相手は常に任国のプロの演奏家であり、これ以上の国際親善はなかったと信じている。宮城道雄や清瀬保二の作品の演奏により、日本にもクラシックが根付いていることを示せた。何よりも、ピアニストとしてその証人となれたことは、この上もない喜びであった。


Chopinの散歩道-大使公邸コンサートの聴衆

(写真:日本大使公邸での室内楽の夕べに集まってくれた政府高官と各国外交官ら。演奏終了後はビュッフェディナーで接待した。)

私が今まで企画と演奏にかかわった室内楽コンサートで、プログラム、来場者とも最大のものについて、ご紹介したい。この年は、日本と私が大使として駐在するラテンアメリカ某国(以下ラ国と呼ぶ)の、国交70周年に当たっていた。この記念すべき年に、両国の友好関係を象徴する行事として、日ラ国交70周年記念室内楽コンサートを、サロンではなくコンサートホールで開催したのである。


Chopinの散歩道-70周年記念コンサートプログラム
(写真:日ラ国交70周年記念「室内楽の夕べ」のプログラムの表紙。日本をイメージしたCGは日本人奏者Mr.Bのお嬢さんが作成)



「室内楽の夕べ」大盛りバージョンとも言うべき、この記念コンサートのプログラムは、以下の通りである。


♪モーツァルト フルート四重奏曲第1番 ニ長調 K285

   フルート:Ms.A、バイオリン:Mr.B(日本人)、

   ビオラ:Mr.D(米国人)、チェロ:Ms.E


♪メンデルスゾーン ピアノ三重奏曲第1番 ニ短調 作品44

   ピアノ:Mr.Chopin(日本人)、バイオリン:Mr.B、チェロ:Mr.F


(休憩)


♪ドビュッシー フルート・ビオラ・ハープのためのソナタ 

   フルート:Ms.A、ビオラ:Mr.D、ハープ:Ms.G


♪シューベルト ピアノ五重奏曲 イ長調 作品114 「ます」

   ピアノ:Mr.Chopin、バイオリン:Mr.H、ビオラ:Mr.D

   チェロ:Mr.F、コントラバス:Ms.I



演奏者は、私以外はラ国国立交響楽団の団員である。国籍を記していない6名はラ国人。つまり日米ラ3国の9名(男性5名、女性4名)が出演する、一大コンサートということになる。Mr.Bなる日本人はユニークな経歴の持ち主で、日本の有名音大を出た後、JICA青年海外協力隊員として、ラ国にバイオリンを教えに来た。そのままラ国に永住し、国立響の第二バイオリン首席奏者を務めている。


企画から本番まで3か月という時間的制約の中、練習は突貫工事の様相だった。特に私にとっては、初めて弾くメンデルスゾーンのピアノトリオとシューベルトの「ます」という、いずれも4楽章まである二つの大曲を仕上げることは、なかなか大変だった。通常の大使館業務がある平日も、寝る間を惜しみ一日4時間は練習に割いた。直前リハーサル前の週末は、連日8時間以上の猛練習を繰り返した。


メンデルスゾーンのピアノトリオ第1番は、彼の天才が遺憾なく発揮された傑作である。端正な構成と作風はベートーヴェンを思わせるが、抒情的な旋律とピアノの華麗なパッセージは、メンデルスゾーンならではの作品だ。冒頭でチェロが哀切のメロディーを奏でる第1楽章。ピアノが夢見るように美しい第2楽章。三つの楽器が織りなすハーモニーには、自分で言うのもおかしいが聞き惚れてしまった。


Chopinの散歩道-メンデルスゾーン・ピアノトリオの練習
(写真:メンデルスゾーン・ピアノトリオの練習風景)


シューベルトの「ます」は変わった楽器編成である。ピアノ五重奏は通常《ピアノ+弦楽四重奏》だが、この曲は《ピアノ・バイオリン・ビオラ・チェロ・コントラバス》というユニークな構成だ。この曲は聴くと平易に聞こえるが、ピアノパートは技巧的に難しいし、5つの楽器を合わせるのも容易ではない。なおバイオリン奏者のMr.Hは、国立響のコンサートマスターである。


Chopinの散歩道-ピアノ五重奏曲ますの練習
(写真:シューベルト「ます」の練習風景)


国立響の団員は多忙なのに、リハーサルにも都合をつけてくれた。またとない両国の周年行事ということで、日本大使の求めに応じて無償で出演してくれ、両国の友好関係を象徴するイベントを成功に導いてくれたことには、本当に感謝している。300人を超える聴衆にも感謝である。(日本大使を除き)プロの演奏家による、これだけ充実したコンサートを無料で聴けて、聴衆も十分満足したはずである。