おはようございます、アルテナです。
梅雨の間の晴れ間です。
空気はしっとりを超えてじっとり
でも風はいつも気持ちいい
先日のソウルでこんなことがありました。
書いておきたくて。
お世話になっている安先生と
二号線市庁駅の階段を上がろうとしてる時でした。
目的地は上がったところにある大韓航空のビル。
済州島行のチケットの事で。
市庁駅は古い駅なので、
エスカレーター等がなく階段で上がる出口もあります。
そこがまさにそういう出口でした。
私はキャリーを持っていて、
さあ、今からこれを手に
長い階段昇るぞ!と思ってる時でした。
指にぐっと力を入れようとしたその時
階段の一番上から声がしました。
「持ちましょうか?」
見上げると10代後半か20代前半と思しきカップルの姿が。
声はその男の子からでした。
彼は階段を走って駆け下りてきて
(結構な長い階段です)
私のカバンを手に
さっさと階段を駆け上がっていきました。
私は安先生と一緒に階段をあがり
彼に追いついてお礼を言いました。
「ありがとう~~!」
一緒にいた安先生もびっくりしてました。
若い男の子のこういう行動って
韓国では90年代まででも
珍しいことではなかったのです。
私の年齢で荷物もってもらう事はあまり無いはずですが、
お年寄りとか、子供連れのお母さんとかの重い荷物を
若い男性がすっと手をだして運ぶことは
20年位前まで普通にあった事です。
だがしかし
最近ではあまり見る事が無くなりましたね。
古き良き韓国の光景
老いも若きも
自分の身体さえ支えられないような男が
韓国もどんどん増えました。
バスのシルバーシートで若い子が居眠りしたり
地下鉄の妊娠中の女性用シートで中年男性がスマホいじってますよ。
(これ、今回沢山見ちゃった)
現代はみんなお疲れ!だからね。
でも、うちの旦那さんは
今でも自分の目にそういうのが入ったら
駆けだして手伝う。
私はそれを見ながら
「かっこいい~」と思いますが
少数派です。
で、この若者に安先生が聞きました。
「どっから来たんだ?」
「アメリカです」
「え??」
私と安先生はびっくり
「親がアメリカに移民して僕らは生まれたので(兄妹だった)
向こうで学校通ってて、今大学の夏休みなので
祖母の家に遊びに来てるのです」
と綺麗な韓国語で言った。
一瞬で分かった。
親が「韓国人はこういう事をするんだぞ」と
アメリカで言い聞かせて育てたのだろう。
「韓国では知らない人の荷物であっても
男がさっと持って助けてあげるんだぞ!」が
身についている子なんだろう。
多分レディファーストも混じってるような気がする
韓国人でも私くらいの年の人の荷物は持たなくていいんだよ
バーさんとかママさんの荷物持ってあげてね笑
ということで、今や韓国にない習慣が
外国から来た彼に残っているというのが面白い
安先生は実にマイペースなので、
すぐに自分のしたい話を始める。
私の事だった
「この女性は日本人なんだぞ!
日本人なのに、ウリナラ歴史をよく知ってて
壬辰倭乱の本を韓国語に訳すというすごい事をやって!
あ、壬辰倭乱知ってるか?」
「知りません、すみません」
「かーっ!知らんのか!
1592年に、、、、、」
私は「先生、その辺で!」
そりゃ知らんだろう
この子らは。
笑ってお別れした。
面白い経験だった
とにかく兄妹でアメリカから来た若者が
今の韓国ではもう見つけ難いような行動を見せてくれた。
今それが私の目に映っているという現実。
国とか、〇〇人だからとか
あれだからこーだからとか
もうそーいうのじゃない。
スピリットの問題だ
何人であろうが、
その精神性を内に抱えた人が
何かをやっていけばいいのだ。
韓国だから韓国のモノが育つわけじゃなく、
他地に移しても、根強く残ったりするものもある。
そして、そうやってでも残ったものって
美しいな、と思いました。
妹さんの目が小粒の何かの種のように小さかった。
これもし韓国に住んでたらとっくに
整形で広げてるよな、
普通の韓国人だったらと思った。
でも、その子ぶりな目は彼女の顔にとても良く似合っていた。
鼻も口も小さい作りで、清純な魅力をたたえていた。
私は美しいな、美しい顔だな、と勝手に思った(言ってません)
そんな事がありました。
まとまりがありませんが。
お仕事いってきます。
ありがとうございました
大切なもの、開くときは今