こんにちは、アルテナです。
最近、忙しくて全然ブログ書いてませんでした。
明日も、大学の冬学期が終わる娘を迎えに夫と外出です。
今朝、ぼーっと時間にふと、思い、そしてこれは書いておこうと思った事。
「お弁当は食べていこう」です。
遠足とかに持って行ったお弁当を、食べずにお家に持って帰る事ってありますよね。
食べられるものならいいですが、季節によっては即廃棄ですよね。
お弁当は外で適度にお腹が空いた時に食べるのが一番美味しい。
持って帰っても、あまり美味しいものではないし、もしかして捨てることに、、
これって私達がこの世に生まれてくる時に
手のひらにもってきた「お弁当」にも同じような事が言えるんだな、と思ったので。
出先で買ってもいいけど、買う人の中には
お弁当を手に持ってるのを「忘れている」人がいます。
またその出先で買ったものが、見た目ばっかりで大したものは入ってなくて
食べてみたら「なんでこんなの買っちゃったんだ」みたいなこともある。
それを買う為にひーこら苦労したりすることもある。
手の中にある、お弁当を、、忘れてるから。
そして用意してきたお弁当を食べるとですね、
この世ではさらに良い事があるんです。
それをつかんでいた手が空くので、さらに別のものをつかむことが出来るということ。
全部食べたら、次はもっと身軽になる。
あとで、、じゃなくて、、この世で食べていきましょう。
手の中のお弁当を。、、、と、思いました。
これを読んで、「私のお弁当は、、なんだろう、、」と思う方がいて、
自分のお弁当がよく、分からない方は、自分に問いかけておくといいですよ。寝る前とかに。
お弁当のおかずの種類はその人の「価値観」かもしれません。
私が一体「何を大事に思っているのか」です。
多分そのおかずの種類が、自分の周波数を作っています。
もしかしてそのおかずは、貴方が嫌いなモノなのかもしれないです。
でもお母さんが「好き嫌いしてはいけない」と入れちゃったようです。
ちゃんとお母さんに「ニンジンいれないでよ」というと、お母さんは
「分からない形にして、混ぜ込んでみようか」とか「味付け変えてみよう」とかします。
それが、あちらの世界に、投げかけること、に近いと思います。
見えないけれど、魂の存在が側にいるから。
なんかそんな事を思いました。
読んでくださってありがとうございます。