Precious☆Soulへようこそ飛び出すハート

 

やっと書く気になったので照れ
記録代わりに・・・

 


 

2026年9月7日、4年9ヶ月の闘病を経て、
21年間一緒に過ごしてきた愛猫を見送りました。

21年という長い時間。

 

元気いっぱいだった頃も、年齢を重ねてからも、そして闘病の日々も、ずっとそばで見てきました。

そんな彼女と過ごした時間を振り返りながら、
今、あらためて感じていることがあります。

それは、動物たちの「老い」について。

そして、彼女たちが見せてくれる
「ありのままに生きる」ということについてです。

 

動物と長く暮らしていると、いつか「老い」と向き合う時がやってきます。

 

若い頃には軽々と上がっていた場所に上がれなくなったり、歩く速度がゆっくりになったり、眠っている時間が増えたり。

昨日まで普通にできていたことが、少しずつできなくなっていく。

一緒に暮らしている私たちは、そんな姿を見るたびに、

「年を取ったんだな」

と寂しくなったり、

「これからどうなっていくんだろう」

と不安になったりします。

私自身、これまでたくさんの猫たちと暮らし、さまざまな形でその命を見送ってきました。

若くして旅立った子もいれば、病気で亡くなった子、預かりボランティアの中で看取った子もいます。

そして、年齢を重ね、少しずつできることが変わっていくシニアの子たちとも暮らしてきました。

だから私は、「老いること」と「亡くなること」は同じではないと思っています。

老いは、その子が今、生きている時間の中にあるものです。

できなくなっても、やりたいことは変わらない

 

年齢を重ねれば、今まで自分でできていたことが、できなくなることもあります。

でも、それで「やりたいこと」までなくなるわけではありません。

たとえば、ももの場合ですが、だんだん自分のベッドまで登れなくなていきました。

私が近くにいれば、

「上げて」

と頼む。

 

でも私も主人もいなければ、居間のいつもの場所で寝ながら

帰ってくるのを待っている。

そして私が帰ってきたら、また自分のしたいことを伝える。

 

そんな姿を見ていると、動物たちはとても「ありのまま」だなと思います。

できないことは、できない。

助けてもらえるなら、助けてもらう。

今できないなら、今できることをする。

でも、自分のやりたいことまで諦めるわけではない。

 

人間のように、

「昔はできたのに」

「こんなこともできなくなってしまった」

と、できなくなった自分を責め続けるわけでもない。

その時の自分の体で、その時できることをしながら生きています。

そして必要になれば、誰かの力を借りる。

私はそんな姿から、「ありのままに生きる」ということを教えてもらっているような気がします。

人間と暮らす動物たちが覚える「人に頼る」ということ

人間と一緒に暮らしている動物たちは、自然の中だけで生きていたら経験しなかったであろうことを、私たちとの暮らしの中でたくさん学んでいきます。

そのひとつが、

「人間に頼る」

ということではないでしょうか。

 

自然界で生きる動物にとって、人間は本来、警戒したり距離を取ったりする存在でもあります。

 

でも、一緒に暮らす中で少しずつ、

「この人なら大丈夫」

「この人には頼ってもいい」

ということを覚えていく。

そして動物たちは、私たちが思っている以上に飼い主のことをよく見ています。

この人は何をしたら気づいてくれるのか。

どう伝えたら動いてくれるのか。

何時頃になったら帰ってくるのか。

どこまでお願いしても大丈夫なのか。

長い時間を一緒に過ごしながら、飼い主がどんな人なのかをちゃんと見ているんですよね。

 

私たちは、

「この子のことなら何でも分かっている」

と思っているかもしれません。

でも実は、動物たちの方も私たちのことをかなり分かっているのだと思います。

もしかしたら、こちらが思っている以上に見通されているかもしれません(笑)

「頼ること」は弱くなることではない

人間は誰かに頼ることを、時々「弱さ」のように感じてしまいます。

迷惑をかけてはいけない。

自分でやらなくてはいけない。

これくらい自分でできなければ。

そんなふうに考えて、無理をしてしまうことがあります。

でも動物たちは、とてもシンプルです。

自分でできることは、自分でする。

できないことは、できる相手に頼む。

そして助けてもらったら、また自分の時間を過ごす。

そこに「できない自分はダメだ」という評価を、いちいち付けていないように感じます。

 

年齢を重ね、自分だけではできないことが増えたとしても、自分の意思まで手放すわけではありません。

むしろ、

「私はこうしたい」

「ここへ行きたい」

「これをしてほしい」

という意思はちゃんと持っている。

そのうえで、必要なところだけ誰かの力を借りる。

それもまた、長い時間を一緒に過ごし、信頼関係を築いてきたからこそできることなのだと思います。

老いは「魂の成熟」なのかもしれない

私はアニマルコミュニケーションをしてきた中で、動物の老いには「魂の成熟」という側面もあるのではないかと感じることがあります。

ただ、老いたから魂が偉くなるとか、若い動物より魂の段階が上になる、という意味ではありません。

 

若い命にも、老いた命にも、それぞれの在り方があります。

私が感じる「成熟」は、もっとシンプルなものです。

今の自分をそのまま受け入れる。

できないことがあれば、誰かに頼る。

でも、自分がどうしたいのかはちゃんと持っている。

そして、今日の自分で今日を生きる。

 

人間は過去を振り返って後悔したり、まだ起きてもいない未来を心配したりします。

でも動物たちを見ていると、

「今は今だよ」

と言われているように感じることがあります。

できることが変わっても、その子の価値が変わるわけではありません。

走れなくなっても。

高いところへ上がれなくなっても。

眠っている時間が増えても。

その子は、その子です。

老いは「失っていく時間」だけではない

老いていく動物と暮らしていると、どうしてもいつか来る別れを考えてしまいます。

できることがひとつ減るたびに、不安になることもあります。

できることなら、ずっと元気でいてほしい。

もっともっと一緒にいたい。

そう思うのは、とても自然なことです。

老いには、病気や痛みが伴うこともあります。

介護が必要になることもあります。

だから私は、老いをすべて美しいものとして語るつもりはありません。

それでも、老いは「失っていく時間」だけではないと思っています。

ゆっくりになったからこそ気づけることがあります。

助けを求めてくれることで、あらためて感じる信頼があります。

長く一緒に暮らしてきたからこそ、言葉がなくても分かることが増えていきます。

そして私たち人間もまた、その時間の中で動物たちからたくさんのことを教えてもらいます。

 

できないことがあってもいい。

誰かに頼ってもいい。

それでも、自分がどうしたいのかは大切にしていい。

昨日の自分ではなく、今日の自分で生きればいい。

動物たちは老いても、最後まで自分らしく生きています。

ありのままの自分を受け入れながら、

「私はこうしたい」

という意思もちゃんと持っている。

そんな姿を見ていると、

魂の成熟とは、何でもひとりでできるようになることではなく、

今の自分をそのまま受け入れながら、自分らしく生きることなのかもしれない。

そんなふうに思うのです。

 

兎にも角にも、飼い主というのはどんなに手を尽くしても
後悔が出てきますね😅

 

ももさん

21年間ありがとう照れ

光に愛と希望と感謝をこめて🌈

 

HPにもう少し詳しく記録がてら書いてます😊