イタリアかぶれのサッカーコーチ通信               ~アルテミオフラン記~
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トップ下を誰がやるのかというナンセンスな議論

今夜のヨルダン戦を前に、トップ下のポジションを誰が担うのかという議論に花が咲いている。


この状況を見て、まだ日本がサッカーに対して軟弱な地盤なんだと痛感する。


この議論の根底には「本田の穴を誰が埋めるのか」という意味が根付いている。


これは、トップ下というのは本田のようなプレーをするのだと決めつけているに他ならない。


仮にあの場所を「トップ下」と定義したとしよう。


その場所でのプレーには様々な種類が存在する。


自分で直接的に攻撃を打開していくプレーのタイプがあるだろう。


前線の一歩手前でボールを受けてタメを作り、攻撃にアクセントをつけるプレーのタイプもあるだろう。


ツートップの一人のように、シャドーストライカーとして、1.5列目でゴールを狙うタイプもあろう。


誰がトップ下を担うのかではなく、誰がプレーするのか、シンプルにそういうことだと思う。


本田のプレーを亡霊のように頭に焼き付けている限り、その議論には至らないだろう。


プレーには様々な種類があり、何を得意とする選手を起用するのかで、サッカーの色も変わる。


そういうことでいいのだと思う。


目的は1つ、勝利することだけだ。


アウェイという状況、不慣れな質のグランド。


そういうなかで相手チームはどういうサッカーをしてくるのか。


それを分析した上で、勝つためにはこういうサッカーをしなくてはならない。


であれば、こういうプレーを得意とするこの選手を起用しよう。サッカーの色とはそういうことだろう。


当然、代表スタッフはこのように考えていろんなことを試みている。


マスコミがサッカーに対して無知すぎることに端を発しているだろう。


書籍、新聞等の販売と売上を目的としたマスコミの悪意すら伺える。


本当にサッカーの質の高い国では、誰もこのようなマスコミの議論に耳を貸さない。


例えばドイツ、例えばオランダ。


そういう国ではそのような悪意はなにも産み出さない。


話は逸れたが、本田のように過去にも亡霊のように扱われた選手がいる。


例えば中村俊輔、中田英寿などだろう。


共通するのは強烈な個性とプレー。


極めて日本の勝利に貢献してる選手たちだと思うが、決して彼らがいなくては勝てないということではない。


目的とするサッカーをするために、どの11人を選ぶのかということだ。


サッカーは一人でするものではない。特色が関わり合って11の色が織り成すものだ。


そういうことを理解しながら観戦すると、固定概念から解放され、


選手たちの様々な特色や、相手チームの特色や、状況における特色がより鮮明に見えてくるはずだ。


FIFAランキングというものも極めてあてにならない指標だが、


少なくともあのランキングでアジアNo.1の国として、サッカーの本質がわかる国でありたいと強く思う。


これからの日本のサッカーの確固たる土台を作り、さらに強豪国になるためには、


選手たちだけでなく、我々のような一般観戦者の質の向上が必須である。


マスコミの雑音と固定概念を切り離し、その目で見たものがサッカーの真実であるということ。


真実は1つ、自分の目で見たもの、ただそれだけだ。





アルテミオフランキ




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