父が死にました。



別にいちいち書くことでも

晒す事でもないと思ったけど



私が人生に向き合うこと
私が私を生きること
そのまま書いてみたいと思ったから
こういうのも書いていこうと思う。



父の死から、まだ1ヶ月もたってないけど
感覚は、半年くらい経った感じ。
すごく前の事に感じる。
何でこんなに時が経つのが遅いのか、まだ分かってないんだけど

これはそのうち分かる時が来そう。



父の死。たくさん感謝した事があったんだけど
その一つが


死が怖く無くなった
ということ。

これは私にとって大事件だった



人は死に向かって生きてる。
ということを認めた感じ

私がこれから死に向かって生きる事を
許したとも言うかな。

同時に私って
死が怖かったんだな。と気づいたんだよね



確かに、ノートを書いていて何度か出てきてた
死ぬのが怖い。人が死ぬのも怖い。
怖い怖い😂



だから遠慮したり、我慢したり
気をつかったり、人はすぐ死んでしまうから。
すごく恐れてた。



祖父や近い友人、親族の死を経験してきて
人は弱くて脆い。すぐ死んでしまうって思ってた



でも、父の死は、全く違ったんですよね。
というか、死がどういうものか分かってなかったな。フワフワしてた。



父が死ぬまで
色んな決断をしていったんだけど
そうやって、人の死に方を決めてるような感覚になった時



死に方は選べない
諦めることができた。


死に方は選べない。
なのに、私はそれをコントロールしたい気持ちがあって

病気になりたくない
苦しみたくないとか
痛いのイヤとか
尊厳死ができる国に移住したいとか。笑
想像を絶することへの恐怖

だから人が、父が苦しむのも見たくない。


でもね、お葬式も終わってひと段落して
仏壇の前に座ってる時、ポロっと湧いたのよ。



死ぬことって悪くないな
私、死ぬの怖くないかも。



あぁ私、こんなに死が怖かったんだなぁって
分かったとき
何か、すんごい大きな事に降参した感じで
自分が全身軽くなって、ゆるんだのが分かった。



父は、人はこうやって死んでいく。ということを
自分の全てで、見せてくれた気がした。




あまり悲しいとか寂しいとか、無かったのよ。
不思議なくらい。
肉体はもうそこには無い。気配もない。
無いんだけど


父が今まで与えてくれた愛だけが、在る感じ。


これは本当に不思議な感覚だったんだけど
すごく大きなあたたかい安心に包まれる感覚

どこに居ても、何をしてても。


愛ってこんな風にずっと在るんだなって
というか在るのは、それだけだなって。


私が何をしていて、どう在ろうと
全て愛として残る。


もっと世界を信頼できた感じがした。




父の死体が家に帰ってきたとき

コンクリートみたいな冷たさと
1ミリも動かない不思議
血が通ってない肉体は、塊という感じだった
もっとベタベタ触ればよかったなぁ

怖くもイヤな感じも全く無くて
安心感だけが在った。


「人は居るだけで価値がある。」ってやつ
分かるよ、分かるけど

んな訳あるか!
何度も自分に言ってきた。笑


もし、仕事もせずお金も稼がず、動けない、誰の役にたつことも出来ない自分だったら
居るだけで価値があるなんて
思えなかったから😂


だけど、父が入院して
もう二度と、この家には帰らないと悟った時


これほど全身で
ただ、そうなんだな。
まっすぐに感じたのは初めてで



その人が居る。
血が通っている温度のある
肉体と魂がそこに在る

人の気配ってすごいんだな。

その存在に
こんなに安心してたんだなって。


それはもう、今まで生きてきて
こんなに寂しいと思ったことは無いくらい
どうしようもなく寂しかったけど


そのとき思いっきり
"寂しい"を感じられて良かった
感じられる自分で良かった



死ぬまでに沢山泣いたし、怒ったし
医師ともちょっとケンカした。笑

他人の前でも家族の前でも
もういいや〜我慢できない。って感じで
たくさん感情出した。出し切った。笑


でも、
蓋しない。それを晒せる。感じられる自分で良かった。



だから死んだとき
その大きな愛だけに浸れたんだと思う



父、最後まで愛を与えてくれて
体現してくれてありがとう。破天荒な愛の塊のような人でした。



これからの人生
全身で感じられる私で在りたいし
それを分かち合っていく。そう在りたい。