「ペンは武より強し」は、イギリスの小説家であり政治家であるリットン氏
が書いた戯曲『リシュリュー』の中にあった格言です。

 

 

今年は、NHKの大河ドラマ「西郷どん」の影響があってか「西郷隆盛」の特集番組が
多いですね。


私も毎週日曜日は晩酌をしながら「大河ドラマ」を見ています。


「西郷どん」では、西郷隆盛と大久保利通が幼いころからの親友として、また、
成人してからも二人がともに新しい時代を切り開くために立ち上がっていく姿が
描かれています。


ところで、ともに明治政府を立ち上げた二人でしたが、西郷隆盛が征韓論を唱えてから、
二人の運命は大きく分かれていくことになります。


征韓論は、日本との国交をかたくなに拒んでいた朝鮮に対して武力で開国させようという
考え方です。


ちょうど、ペリーが来航して日本が開国させたのと同じことを朝鮮に企てたのでした。



この時、西郷は大久保らにまだ時期尚早と反対され、同じ征韓論を唱えた板垣退助
とともに政府を去ることになります。


その後、西郷は鹿児島に帰り地元の士族の不満を受け入れ政府軍と戦います(西南戦争)。


一方、板垣は民撰議院設立建白書を政府に提出し、後の帝国議会発足のきっかけを
つくりました。


西郷は武力に訴えて敗北し、板垣はペンの力で日本の民主政治の礎を築きました。



歴史的には板垣のほうが勝者ですが、西郷が九州の士族の不満を一身に受け止め
政府軍と戦って自決するまで人々と誠実に向き合ってきた姿は、今でも人々に感動を
呼び起こします。


同じ頃、大久保らは、政府代表として明治政府を立ち上げた岩倉具視や木戸孝允らと
米国に渡り、不平等な日米修好通商条約の改正の交渉をしています。


そして、西南戦争から33年後に西郷や板垣が唱えた征韓論の通り、日本は韓国併合
により第二次世界大戦終戦まで朝鮮を植民地にしたのです。


西郷と大久保の二人については、西郷は実直で寡黙な男でしたが、大久保は弁も立ち
要領よく立ち回れる人でしたから政治家に向いていました。



西郷は無学ではありませんが、もう少し時代の流れに柔軟に立ち回れたら、悲劇のヒーロー
ではなく、従兄弟の大山巌のように陸軍大臣として活躍できたことでしょう。


私個人は福島県会津出身で戊辰戦争のときに、郷里は薩摩・長州・土佐連合の官軍に
攻撃されました。


しかし、西郷が寡黙な男であり、実直で誠実であったことは東北人の気質にも通じ、
またその気質は日本人の心の中に宿る魂です。


私が、この記事を書いたのは歴史が好きなこともありますが、コピーラィティング

を学びながら常に感動的な文章が書けたらよいなと思っているからです。


そして、功利的な考え方だけが勝者とされるのではなく、敗者の生き方にも学ぶこと

が多いのではないかとつくづく考えさせられます。