お風呂の中には、湿気。梅雨の時は、ほんっとに嫌いだったのにな。しとしとじめじめ、毎日うんざりしてた。今はぽわっとしてて、心地よい。肌に髪に頭の中に、水分がしっとり浸透していくような気もしてる。だから、いつもより頭が柔らかくなってる感じがする。
お風呂の中では、テレビは見れない、音楽は聞けない。だからといって本は読まない。ただひたすら考え事をするようにしてる。
今日は〈孤独〉について考えるようにしている。きっと今日は、いい具合に考えが巡ってくだろう、晩ご飯もハンバーグだったし。
しかし、しかしだ、さっきから気になっているんだ。窓の外の蛙くん、君だよ、君。
やもりでもないくせに、ガラスにへばりついて這いまわってる。虫を探してるんだろうな。でっぷりした胴体はよたよたして、危なっかしい。そうだね、ビールっ腹のオジサンみたいだ。
そんな君の〈ビール〉が、ほら、おいでなすったよ。小さい蛾、ちょうど君から見て右にいる。
あ。素通りしちゃった。
虫を探してるわけじゃないのかなぁ。じゃあ何してんのかな。
こっちに来たい、の、かな。
そっか、最近日照り続きだったもんね。湿気も欲しいよね。
洗面器に水を張る。蛙くんの身体に悪そうな、シャンプーやボディーソープなんかのボトルは脱衣所に移す。
窓を、細く開ける。
どうぞ。 おじゃまします。
私と蛙くんの視線が、ふんわりとからまる。そして蛙くんは、ぬこぬことお風呂場の中に入ってきた。
蛙くんは今、洗面器のプールで泳いでる。その水泳フォームはまるっきり平泳ぎ、ではなく、少し違うように見える。私たちが泳ぐときはいち・に・さん、と頭の中で拍子をとるけど、蛙くんの泳ぎではきっと、そんなカウントがないんだろう。
あぁ、久しぶりです、気持ちいいです。
そう、よかったねぇ。
きれいな黄緑色の背中を眺めながら、そう答える。
けど、実は今、孤独だな、と感じてる。
孤独って、周りの人と仲がよくないとき感じるものだって、そう思ってた。けどもしかしたら、そうじゃないのかもしれない。
蛙くんが泳ぐ。飄々とした顔つきで水の上をすいすい渡り、ときどき壁に手をついて、ぷはっ、息を吐く。
その何気なさ、水に慣れきった様子。そして、それをバスタブの縁に寄り掛かってぼんやり見つめてる私。乗り越えられない違い、とでも呼べばいいかな。境界線がある、ってことを、強く感じる。近くにいるのに距離を感じてしまう。
私と蛙くんは、おんなじものではいられない。私は蛙くんにはなれないのだ。違い、壁。仕様がないけど、もどかしい。そして、怖い。どんなに足掻いても、一緒のことを感じたいと思っても、つながることのできない、分かち合うことのできない部分があるのだ。どうしても、客観視しかできない場面が存在するのだ。
でも。
蛙くんはしばらく泳いだあと、洗面器の縁にのぼって、くうぅ、とうなった。そして胸を膨らませ、こう叫ぶんだ。
あぁ、この湿気、水滴の心地よさ!!
よみがえるような気分ですって、そう言うんだ。
私が感じてるのとおんなじこと。
身体にまとわる蒸気の軽さ。しとしと肌の上を流れる小さな水滴、それが染み込んでぴくぴくと反応する身体の諸器官。一つひとつの細胞が伸びをする。
感性がリンクしてる。
心地、いいなぁ。
蛙くんは、タオルでふいてくれないかと頼んできた。
それから、あなたが出入りする大きな玄関でお別れしましょう。
窓から出ないの。
ここから直接出ると、また湿気が恋しくなりそうですから。
これからもときどき来ればいいじゃない。
蛙くんはぶんぶん首を振る。いやいや。湿気を愛する仲間はたくさんいるのです、私だけずっと利を得ているわけにはいきません。
じゃあ仲間も連れてきなよ。
一瞬のぐっとした沈黙のあと、蛙くんが私の目をしっかと見すえた。そして、大きな口を小さく開いて、絞りだすような声を出した。
いいですか。私たちは、野生動物なのですよ。大勢の仲間とともに、依存心を身につけて生活するなど、あってはならないことなのです。わかってください。
そうだった。おんなじものでは、ないんだった。
孤独を覚える。私も、蛙になれたらな。おんなじ摂理を、感じられたらな。
でも、それは乗り越えられない違いなのだ。
だけれど、私たちはその孤独を感じないくらいのつながり方をした、私はそう思ってる。
楽しかったよ。
私の手のひらの上、蛙くんは下を向いて押し黙ってる。電灯が熱くまぶしく辺りを照らし、乾いた夜風がさらりと頬をかすめる。湿気は儚く消えていく。
元気でやりなよ。
蛙くんはきっ、と顔をあげて私の目を見た。目が潤んでた。
一緒にあの空気を感じたこと、忘れません。
最後に残ってた、手のひらの湿気のひとかけに頬ずりをくれた。そして、電灯の光が届かない漆黒の闇のなかに一跳びした。
ざざっ、大きな音のあと、かさかさと音が聞こえた。
明日からまた、私は湿気のなか、蛙くんは、この乾いた風のなか。
またいつか、会えないかな。無理かなぁ。
蛙くんのぬくもりが残る手のひら、きゅうっと胸に当てる。二人で感じてた、ふんわりした湿気。胸の奥に移ってく。
私も、忘れないからね。
しばらく夜闇を見送ってから、家の中に戻った。
おわり
お風呂の中では、テレビは見れない、音楽は聞けない。だからといって本は読まない。ただひたすら考え事をするようにしてる。
今日は〈孤独〉について考えるようにしている。きっと今日は、いい具合に考えが巡ってくだろう、晩ご飯もハンバーグだったし。
しかし、しかしだ、さっきから気になっているんだ。窓の外の蛙くん、君だよ、君。
やもりでもないくせに、ガラスにへばりついて這いまわってる。虫を探してるんだろうな。でっぷりした胴体はよたよたして、危なっかしい。そうだね、ビールっ腹のオジサンみたいだ。
そんな君の〈ビール〉が、ほら、おいでなすったよ。小さい蛾、ちょうど君から見て右にいる。
あ。素通りしちゃった。
虫を探してるわけじゃないのかなぁ。じゃあ何してんのかな。
こっちに来たい、の、かな。
そっか、最近日照り続きだったもんね。湿気も欲しいよね。
洗面器に水を張る。蛙くんの身体に悪そうな、シャンプーやボディーソープなんかのボトルは脱衣所に移す。
窓を、細く開ける。
どうぞ。 おじゃまします。
私と蛙くんの視線が、ふんわりとからまる。そして蛙くんは、ぬこぬことお風呂場の中に入ってきた。
蛙くんは今、洗面器のプールで泳いでる。その水泳フォームはまるっきり平泳ぎ、ではなく、少し違うように見える。私たちが泳ぐときはいち・に・さん、と頭の中で拍子をとるけど、蛙くんの泳ぎではきっと、そんなカウントがないんだろう。
あぁ、久しぶりです、気持ちいいです。
そう、よかったねぇ。
きれいな黄緑色の背中を眺めながら、そう答える。
けど、実は今、孤独だな、と感じてる。
孤独って、周りの人と仲がよくないとき感じるものだって、そう思ってた。けどもしかしたら、そうじゃないのかもしれない。
蛙くんが泳ぐ。飄々とした顔つきで水の上をすいすい渡り、ときどき壁に手をついて、ぷはっ、息を吐く。
その何気なさ、水に慣れきった様子。そして、それをバスタブの縁に寄り掛かってぼんやり見つめてる私。乗り越えられない違い、とでも呼べばいいかな。境界線がある、ってことを、強く感じる。近くにいるのに距離を感じてしまう。
私と蛙くんは、おんなじものではいられない。私は蛙くんにはなれないのだ。違い、壁。仕様がないけど、もどかしい。そして、怖い。どんなに足掻いても、一緒のことを感じたいと思っても、つながることのできない、分かち合うことのできない部分があるのだ。どうしても、客観視しかできない場面が存在するのだ。
でも。
蛙くんはしばらく泳いだあと、洗面器の縁にのぼって、くうぅ、とうなった。そして胸を膨らませ、こう叫ぶんだ。
あぁ、この湿気、水滴の心地よさ!!
よみがえるような気分ですって、そう言うんだ。
私が感じてるのとおんなじこと。
身体にまとわる蒸気の軽さ。しとしと肌の上を流れる小さな水滴、それが染み込んでぴくぴくと反応する身体の諸器官。一つひとつの細胞が伸びをする。
感性がリンクしてる。
心地、いいなぁ。
蛙くんは、タオルでふいてくれないかと頼んできた。
それから、あなたが出入りする大きな玄関でお別れしましょう。
窓から出ないの。
ここから直接出ると、また湿気が恋しくなりそうですから。
これからもときどき来ればいいじゃない。
蛙くんはぶんぶん首を振る。いやいや。湿気を愛する仲間はたくさんいるのです、私だけずっと利を得ているわけにはいきません。
じゃあ仲間も連れてきなよ。
一瞬のぐっとした沈黙のあと、蛙くんが私の目をしっかと見すえた。そして、大きな口を小さく開いて、絞りだすような声を出した。
いいですか。私たちは、野生動物なのですよ。大勢の仲間とともに、依存心を身につけて生活するなど、あってはならないことなのです。わかってください。
そうだった。おんなじものでは、ないんだった。
孤独を覚える。私も、蛙になれたらな。おんなじ摂理を、感じられたらな。
でも、それは乗り越えられない違いなのだ。
だけれど、私たちはその孤独を感じないくらいのつながり方をした、私はそう思ってる。
楽しかったよ。
私の手のひらの上、蛙くんは下を向いて押し黙ってる。電灯が熱くまぶしく辺りを照らし、乾いた夜風がさらりと頬をかすめる。湿気は儚く消えていく。
元気でやりなよ。
蛙くんはきっ、と顔をあげて私の目を見た。目が潤んでた。
一緒にあの空気を感じたこと、忘れません。
最後に残ってた、手のひらの湿気のひとかけに頬ずりをくれた。そして、電灯の光が届かない漆黒の闇のなかに一跳びした。
ざざっ、大きな音のあと、かさかさと音が聞こえた。
明日からまた、私は湿気のなか、蛙くんは、この乾いた風のなか。
またいつか、会えないかな。無理かなぁ。
蛙くんのぬくもりが残る手のひら、きゅうっと胸に当てる。二人で感じてた、ふんわりした湿気。胸の奥に移ってく。
私も、忘れないからね。
しばらく夜闇を見送ってから、家の中に戻った。
おわり