まだ三十分しか経っていない。

が。

(やってられないって)

すっかり鎌を放り出し、ぼんやりとリビング中央で佇んでいた。

いくら『紫衣』は使用者固有の形状と操り方があろうと、何のヒントもなしに『形を変えてみろ』なんて言われても困る。

(感情だって暴走するって)

人が感情を自由自在に制御できたら恐らくこの世界はもっと平和な世界になっているだろう。

絶対に戦争は今よりもっと少なくなるはずだ。確信はないけれど、何となく確信できる。

(鎌の大きさを変える、か)

仕方がないから、麻友はあの少女が言っていたことを思い出そうと、記憶の糸を探ってみる。

(単純に考える)

鎌に手を伸ばしながら、単純に考えてみる。

一時期ブームだったスプーン曲げの要領で念じれば何とかなるだろうか。

(無理だね)

ならば、

(やっぱり、感情の制御ってヤツ?)

物凄く、ぶっ飛んだ考え方だと改めて思った。

少女の口ぶりから察すれば『紫衣』の形もいろいろあるらしく、個人個人の感情が形状形成に大きく影響するらしい。

確かに少女の言う通り、人間は感情を理性で多少なりと制御できる生き物だ。そう。一番強い感情って言ったって所詮感情でしかない。コツさえ掴めば制御できないわけがないだろう。だが、そのコツが掴めないから今現在こんなに憂鬱になっていると言うわけで――、

(ん? 一番強い感情?)

引っ掛かった。

「――一番強い感情」

復唱してみる。

そう言えば、あの少女が何か言っていたような気がする。

(何処で、だったっけ)

思い出せない。

思い出そうとする。

思い出せない。

思い出そうとする。

思い出せない。

思い出せそうで思い出せない何とも言い難い不快なモヤモヤが麻友を飲み込む。

「気持ちワル」

麻友の口から、不意にそんな言葉が漏れた。

一番強い感情。

何だろうか。

一番強い感情。

(――復讐心?)

確かにそれもある。

が、もっと奥だ。

(焦り?)

違う。

(嫉妬?)

違う。

次々と候補を思い浮かべ、消していく。

(ナニ?)

不思議な気持ちだった。

気持ち悪い。

喉に小骨が引っ掛かっているような、何かに心を抓られているような。

(私は、)

そうだ。

(感情)

一番強い感情。

(感情)

渡辺麻友を形作っている深淵の感情は、刹那―――
 
 
 
 
『人でなしは麻友ちゃんだと思うな』
 
 
 
 
フラッシュバック。


     


脳内に映し出されたそれは、ノイズ混じり。

(なに、これ……)

思わず顔を上げる。目に映るのは代わり映えのない天井。

ガクガクと膝が震える。

『麻友ちゃんの場合は「哀れみ」だと思うよ』

立っていられなかった。

思うように、立てない。

膝が笑っている。麻友は大鎌を支えにして情けなくしがみついた。

『簡単に言えば、同情と同じだよ』

フラッシュバックは容赦しない。

『あたしに初めて会ったあのときは「殺される自分が哀れだ」って思ったからその感情に触発されて「紫衣」が発動した。二度目は「悲劇のヒロインになってしまった自分が哀れだ」から。そして三度目、お母さんの死体を目の当たりにしたときは「殺されてしまったお母さんや家族が哀れだ」って心の奥底で思ったから』

絶望の渦が麻友に食らい付いた。

『同情心だよ。一回目と二回目は自分に対する自分自身の同情。三回目は家族に対する同情』

ダンッ!

麻友は膝を付き、身体をくの字に曲げ、殆ど無意識に拳を床に叩き付けた。

『同情ってのは一番醜いとあたしは思ってるんだ。だって同情って「嗚呼、なんてあの子は可哀想なんだろう」って感情でしょ? 上から目線じゃん、自分は何様ですか?』

嫌悪感。

猛烈な嫌悪感が麻友を飲み込み、その勢いのまま、猛烈な勢いで拳を床に叩き付ける。

何度も何度も何度も何度も何度も何度も――。

一心不乱に湧いてくるフラッシュバックを拒絶するように、振り払うように。

が。




『ホントウノヒトデナシハマユチャンダトアタシハオモウヨ』




ぷっちん、と。

何かが切れたような音がした。