麻友の家族が皆殺しになって、二日。

少女と父と母の亡骸を処理しに来た業者の偽装工作によって、いつの間にか『実は借金苦で麻友を一人置いて蒸発した』ことになっていた。

ちなみに『実は借金苦だった』という行も蒸発したことを印象づけるための方便だったのだが、麻友が両親の部屋を整理し始めたその瞬間に方便ではなくなった。

父の書斎を整理していると大手消費者金融からヤミ金業者らしい会社まで、何十枚もの督促状が出てきたのだ。嘘から出た誠とでも言うべきだろうか。

麻友はショックだった。

何の問題もなく、極々普通の一般家庭だと思っていたのに、テレビドラマの世界だけだった借金が現実に自分の両親を蝕んでいた。そして呑気なことに麻友はそのことを知らなかった。上辺だけ綺麗に塗り固められた『家庭』で麻友は笑っていたのだ。何も知らず、呑気に。一緒に笑ってくれた両親は、全部虚構の『平穏』の元に成り立っていたなんて。物証に真実を宣告されて、しばらく麻友が動けなかった。

だけど、結果としてこの事実は『真実』をよりいっそう霞ませることになった。

前もって警察の目を誤魔化すために少女や業者が仕掛けていた数々のミスリードに、嬉しい誤算である莫大な借金。『麻友の通報を受けた』警察はこの一家集団失踪を『借金苦による蒸発』と判断した。

麻友は、勿論両親が残した借金が不安だった。

督促状の送り主を見る限りヤミ金と思われる業者もあるようだったから、当然取り立てもあるだろう。稼ぎ手が『蒸発』したとは言え、それほど世間は甘くない。どうやって金を作ろうか、その旨を告げると少女は「取り立てに来るのはどうせ暴力団関係者だろうから手回しをしておく。だから心配しなくていい」とのことだったが、心配は消えてくれなかった。

「お疲れ様。遺品整理ご苦労様だね」

あの出来事から、二日経った。

少女はソファーに腰まで埋め、他人事のように呟いた。

「コーヒーでよければ煎れておいたから」
「ありがと」

意外に気が利く、そう思いながら麻友は椅子に座ってコーヒーカップに手を伸ばした。

「……」

味は、インスタントだった。

(これからは買い物も全て自分でこなさなきゃいけないな)

インスタントコーヒーの味を噛み締めながら、麻友は漠然と思った。

(でも、何とかなる、か。料理なら何とかなるし)

一時期、麻友は料理に凝っていた時期があった。

それは確か小学六年生くらいの夏休みで、料理に夢中になったきっかけは母の包丁捌きに憧れたから、だったような気がする。でも小六という多感な時期だったのが仇となったのか、夏休みが終わるとすぐ飽きてしまって何もかもうやむやになってしまった。尤もその小六の夏休みで料理の腕は格段に上がり、高校受験の時には勝手に有り合わせの残り物で夜食を作っていたから食事に関してあまり危機感はない。

(何とか、なる)

コーヒーを飲みながら、麻友は自分自身に言い聞かせ、そして何気なく壁に掛かっているカレンダーに視線を流した。

(――二日、か)

二日。

両親が殺されてから、もう二日経った。

麻友は学校を二日間とも休んでいた。

既に『蒸発した』ことを把握していたらしい担任は、ひとまず今後のことを考えるのを止めて今はゆっくり休みなさい、とそう告げて、欠席を咎めようとはしなかった。有り難い限りである。

「それにしてもさ、つまんないな」
「……は?」

少女が煎れたコーヒーを口元から離して、麻友は少女を見る。

「仮にも、あたしは家族を皆殺しにしたんだよ? 折角武器があるんだから寝込みを襲ってきてもいいのに」

少女は、リビングの壁に立てかけてある漆黒の大鎌を一瞥する。

「寝ているときが一番無防備なんだよ?」
「それもそうだけど」

麻友はコーヒーカップをテーブルの上に置いて、

「今は、まだしない」

毅然と、告げた。

「確かに、殺したい。出来るモノなら今すぐにでもね。だけどアンタが言ったようにまだアンタを殺せない。私の、父親を守れなかったように、今の私じゃまだアンタには届かない。きっと『寝込みを襲う』ってハンデもらってもダメ。ちゃんと自分のチカラを使いこなせるようになったら、そん時は改めて殺すから。心配しないで」
「――やっぱり、お師匠様にそっくり。ふふふ。あたしは麻友ちゃんのこと好きになっちゃったよ」
「冗談。これでも腸が煮え繰り返ってるんだから」

麻友は残りのコーヒーを一気に飲み干して、椅子から立ち上がる。

「どこ行くの?」
「まだ、いろいろ片付けがあるの」
「頑張ってね」

冷淡な少女に見送られ、麻友は廊下に出、階段を駆け上がる。

殺したい。

少女に対して、圧倒的な憎悪が麻友の心の真ん中で渦巻いていた。

だけど、今それを開放しても良いことはないのだ。

実力の差があり過ぎる。

前回、あの少女に歯向かった際、能力があったのに、冷静で居られたつもりだったのに、それでも父親は死んだ。守れなかった。戦闘中は良いように弄ばれて、結果的には何も出来ずに少女に一刀の元に(峰打ちだったけれど)斬り捨てられた。

麻友には絶対的に力が足りない。

今歯向かったところで、返り討ちに遭うのは必至だ。それにこの差は一朝一夕でどうこうなるようなモノではない。長い時間を掛けて、じっくり自らを鍛えなければ埋まらない、そんな絶望的な差が麻友と少女の間にはある。

だからこそ、埋める。

埋める手段がある。

少女から技術を学ぶ。その技術をフルに活用し、両親や家族の敵討ちをすればいい。一見遠回りの道のりかも知れないけれど、冷静に考えるとそれが確実でベストな選択肢だと麻友は思う。

(待つ)

階段を駆け上がって、麻友は心に刻む。

絶対に殺す。

両親や家族の仇は絶対に討つ。

心の中で絶叫し、麻友は両親の寝室に駆け込んだ。

駆け込んで。

――駆け込んで。



――――――駆け、込んで。



少女に二つ置かれていた父のベッド、母のベッド。

父が愛用していた本に本棚、そして母が大事にしていた油絵に簡単な化粧台。化粧台の上には小箱があった。

何気なく、その小箱を手に取って、蓋を開く。

リングだった。

飾り気のない、銀色の。

それは生前父親から貰ったと、母親が大切にしていた指輪で。

ふと、両親が存在していた残滓を目の当たりにして。

麻友は、崩れた。

抱く考え、感情、全て丸ごとかなぐり捨てて。

まるで迷子になった幼子のように泣きじゃくった。