お客様は神様です。
そんな言葉がこの世に存在するが、果たして本当にお客様は神様なのだろうか。
板野友美の自宅にあるコンビニエンスストアでアルバイトをすることになった柏木由紀は、ふとそんなことを考えた。
アルバイト生活も二週間を過ぎれば大体のことは慣れる。レジだって袋詰めだってお手の物だ。
少なくとも、友美よりかは働けると思えるほどの自信は持てるようになった。
その友美は、まず袋詰めが面倒臭いらしく、客がレジの前に立つと必ず逃げ出す。そして、由紀が笑顔で対応しているのを顔の上半分だけ覗かせてじっと見ているのだ。お前はミーアキャットか!とツッコミを入れたいのを我慢しながら、その友美を時折睨みながら接客を続ける。
そんなことより、話を戻そう。
お客様が果たして神様なのかどうかという事だ。
何故、そんな疑問を持つようになったかというと、接客業を少しでも経験したことのある人なら理解してくれると思うのだけど、その一例として、今正に、おにぎりを万引きし損ねた神様が、由紀の前で怒りを露にしていた。
自分を棚に上げて怒りをぶつける神様を見ながら、由紀は深い溜息をついた。
さて、この男をどうするのが一番正しい選択だろうか。
「おい! テメェ聞いてんのか!?」
「……さっきから偉そうにしてますけどね。貴方、万引きをしたんですよ万引き! 判ってます? これは立派な窃盗罪ですよ」
「うるせぇなっ! ケチケチしてんじゃねえよ! このドブスが」
ケチとかそう言う問題じゃないでしょ。そう心の中だけで溜息を落とし、もうこのまま警察を呼んでしまおうと電話を取った。
だって、ドブスって言ったもん。まずはそこを謝ってもらわなきゃ。
「おいおい、何も言えないからって警察かよ? そうやって何でも警察を呼べば解決すると思ってんだな。バカじゃねえの」
今度はバカだと言った。いくら神様とは言え、二度も侮辱するとは許せない。一旦受話器を置いて、文句を言おうとしたとき、
「ねー、終わった? ゆきりんお客さんがレジで待ってるよ」
顔を覗かせた友美が由紀に声を掛ける。若干溜息にも似た吐息を漏らした由紀が、「ちょっと待ってて」とレジへ歩いた。
代わりに友美が由紀の居た場所に座る。
「おじさんおにぎり好きなんだ?」
「おじ……おじさんじゃねえよ! まだ二十代だよ」
「二十何歳? ボクの中では二十五以上はおじさんだから。ねえ、何歳?」
「……に、二十九」
「じゃあ、おじさんだね。ねー、おじさんおにぎり好きなの?」
一刀両断とはこの事だろう。目の前の神様は完全に打ちのめされたような顔で落ち込んでいる。だが、まだ完全には死んでいないようだ。我に返った神様は、友美に向き直りを文句を続けた。
「べ、別におにぎりなんて好きじゃねえよ!」
「好きでもないのに盗ったんだ? 変なの。あ、お腹が空いてたってこと?」
「だ、だから、そんなんじゃねえって! もうどうだっていいだろ!」
神様の言葉を無視して、友美がポケットからなにやら取り出した。それを差し出す。
「グミ食べる? ちゃんと買ったやつだから大丈夫だよ。これ美味しいよ。あ、賞味期限とか気にしないよね? 万引きするような人だしね」
「グミの賞味期限切れってどんだけだよ……それに、俺は別に腹減ってるわけじゃねえから」
「ふーん。じゃあ、遊――ゆきりん痛いってば……」
接客を完了した由紀が戻ってきて、ひとまず友美に拳を振り下ろした。
「万引き犯と遊ぼうとしないで! ったく、ちょっと目を離すとサボることばかり考えるんだから。たまには接客もしてよね」
「だって、袋詰めって面倒臭いんだよね。肉まんとアイス一緒に入れただけで怒られるし」
「それは当たり前でしょ……」
普通のことを普通に出来ないのは正にヒーロー部だ。ただ、入店してくる客に一番に笑顔を振りまいてるのは友美のように思える。その後に、商品を勝手に勧めるのは頂けないが。
「なんだよこの店は。客相手に取る態度じゃねえだろ」
「言っておきますけどね。貴方のような人を客だなんて――」
「あ、ゆきりんお客さん」
今日はやけに客が多い気がする。言いかけていた台詞の途中で、由紀は仕方ないとばかりに溜息をつき、バッグヤードを後にした。
またもや、友美と万引き犯の二人が残る。
「おじさんさ、おかか好きなの?」
「はあっ?」
「だって、このおにぎりおかか入りだよ? おかか好きなんだ?」
「ど、どうだっていいだろ」
「よくないよ。おかか好きに悪い人はいないって言うじゃん。ねー、おかか好きなの?」
「まあ、嫌いじゃないよ」
「へー」とおにぎりと万引き犯を交互に見ながら、友美がニヤリと笑った。
なんだ?と男の顔が一瞬強張る。
「ゆきりーんっ! このおじさんこんな顔しておかか好きなんだってーっ!!」
「ちょ、そんなデカい声で叫ぶなよ! 別にいいだろ何が好きでもよ」
二度目の接客を終えた由紀が慌てて戻ってくる。その表情は少しだけ青ざめてるようだ。
無言で友美を睨みつけるが、その友美は別段気にしてなどいない。
「ところでさ。おかかって何?」
コケた。友美以外の二人が、新喜劇よろしく盛大にコケてくれた。
「なんだろ?」おにぎりを上から下から眺めながら、友美が首をかしげている。そんなに気になるのなら中身を空ければいい。
「え、いいの? いつもなら勝手に空けると怒るじゃん」
「いいわよ。後でお金払っておくから。ただし、今日だけだからね」
「わーい! おっかっか♪ おっかっか♪」
おにぎりに包まれたビニールを手順通り剥がしていく。途中海苔が上手く取れず、少しだけ悲しそうな顔をしていたが、すぐに普通に戻った。
完全に剥がし終わると、一気に食らいつく。
そして、そのままリバース……
「うげぇ……何これ……」
「おかかでしょ? かつお節を醤油でまぶしたやつよ。吐き出すほどの物じゃないはずだけど」
「そうなんだ? ってきり紙くずを丸めて詰めてあるのかと」
「そんな物売ってたら、訴えられちゃうから……」
中身の安全性を確認した途端、すべてを食べ終えた友美が、お腹を擦りながら「これは万引きしたくなる美味しさだね」と満足そうに言った。
そんな由紀と友美のやりとりの間、神様及び万引き犯は、苦笑いを浮かべていた。最初の元気が少しずつ失われているようだ。
むしろ、二人のことを同情するような目で見ている。
「俺、自首するよ。君らを見てたら、なんか全うに生きたくなってきた……」
物凄く悲しそうな表情で立ち上がった男が、携帯電話を取り出して110番していた。携帯を耳に当てながらバッグヤードを出て行く。
お店の外に出たあたりで、一度こちらを振り返り、二人を見つめて何かを言った。
それが「がんばれ」に見えたことで、由紀は何とも言えない思いに駆られた。
お客様は神様から万引き犯に成り下がったが、最後には何かを悟るような清々しい顔をしていた。
パトカーに連れ去られていく男を見ながら、由紀はここでバイトを続けるのを、真剣に悩むようになってきた。
二人のアルバイト生活は、まだまだ続く。