「今日はもう遅い……続きはまたにしようかの」

ゆっくりと立ち上がったノンテが、メータリュに笑いかけてから杖を着いて歩き始めた。

「ノンテ婆、今日は泊まっていかれたらどうかしら? いいえ、今日だけとは言わず、捨て子が戻ってくるまでの間だけでも」

ノンテが何を知っているのかメータリュは気になって仕方がなかった。それを聞き出すまでは帰してはならない。そう思った。

「ふむ……マナはわしの大事な娘じゃ。それが捨て子であったとしてもな」

振り返ったノンテが寂しそうに口元だけで笑みを作る。夕陽でオレンジに染まった顔を少しだけ俯かせると、小さくため息をついた。

「そして、どんな運命を背負った子だったとしてもじゃ……」

扉の前まで歩くと、「それじゃお言葉に甘えさせて頂くとしようかの」と言って笑った。

メータリュがホッと胸を撫で下ろして頬を緩めた。天使兵が扉を開けたのとノンテが再び口を開いたのはほぼ同時だった。

「そういえば、メータリュ様。お主の娘っ子はどうしておる? 見かけんようじゃが」

歩みを止め、首だけを横に向けて「はて?」と首を捻った。

メータリュがため息をついてから、呆れたように言った。

「貴女の〝娘〟を捜しに、人間界へ行ってるわよ」

目を見開かせて驚いた顔をしたノンテが「ほう」とため息混じりの声を上げた。

「それはそれは、ご立派になられたようで」

「と言ってもまだまだ子供よ」

呆れた顔のまま首を振るメータリュにノンテがニマッと歯を剥きだしにして笑った。所々に見える金歯が一瞬だけキラッと光る。

「親が思っている以上に、子供は成長しとるもんじゃよ」

そう言うと、開いたままの扉を出た。ギィ、と言う音が背中越しに聞こえ扉が閉まった。

「おや? そういえばメータリュ様の娘っ子の名前はなんじゃったっけ?」ここまで出ておるんじゃがのう。言いながら兵士の案内に従った。








「みゃお!いい加減諦めな!」

みなみの怒号が辺りに響いた。

公園の入り口にある一軒のタコヤキ屋。美穂はどうしてもそのタコヤキが食べたかったのだが、いかんせんここは人間界で、天使界で流通しているお金は人間界では使えず、だが、美穂のタコヤキを食べたい情熱は崩れることなく近くの電柱にしがみ付いて離れない。

「食べたい食べたい食べたあああぁぁぁぁい!!」

「もう……明日香様からも言ってあげてくださいよ」

みなみが諦めにも似た口調でそう言うと、少し離れた場所で別の方を眺めていた明日香が靴の音を鳴らしながら美穂に近づいてきた。

「みゃお。そんなに食べたいのか?」

その問いに、コクンと頷いた美穂を見て明日香がニヤッと笑った。その笑みに背筋が凍りつくような寒気を感じた由紀が、みなみに寄り添うように腕を絡めた。

何やら呪文のような物を呟き始めた明日香に、みなみが慌てて止めに入る。

「明日香様、ここは人間界です!お止めください」

その言葉も虚しく、明日香の右手の平が淡くぼんやりと光って、すぐに消えた。

「タコヤキっ!」

美穂が叫ぶ。明日香の手の平に現れたのは確かにタコヤキだった。天力でタコヤキを再現した創り物だったが、美穂は腹を空かせた野良犬のようにそれに飛びついた。

歓声が沸き起こる。いつの間にか出来たギャラリーが、拍手をして歓声を上げていた。どうやら手品だと思ったらしい。

「明日香様、目立ち過ぎです。移動しましょう」

みなみが人目を気にして明日香の袖を引っ張った。それに従うように歩き出した明日香が、タコヤキ屋の前で足を止めた。

慣れた手つきでタコヤキを返していた女の子と目が合う。

「タコヤキ屋。それは美味いのか?」

珍しい物を見るような目で小首を傾げた女が、はっとして眉間にシワを寄せた。

「当たり前やろ? ウチのタコヤキが不味いわけあれへん」

そう言うと、出来上がったばかりの一つを爪楊枝に刺して明日香に差し出した。

ジッと見つめているだけの明日香に女が唇を尖らせて続ける。

「何やってん? 食うてみいや」

明日香の目の前数センチまでに差し出されたタコヤキを手には取らず、そのままパクっと口に頬張った。

「んんっ…んあっつ……んんんあ……」

口に広がった熱が明日香にダメージを与え、悶える。隣で見ているみなみが急いで取り出した水筒を差し出した。

それを手で払ってから、明日香は「美味い!」と舌鼓を打った。

それに続くように、「なにこれ~」と言う、美穂の声が聞こえた。

どうやら先ほど明日香が出現させたタコヤキを食べたようだ。それに気づいた明日香が美穂の方を向いて高らかに笑った。

「済まぬ済まぬ。味が判らない故、無味で再現してしまってな」はっはっはっ。笑った明日香の声にタコヤキ屋の女が思わず噴出した。

「あんたの喋り方なんやねん。お侍さんみたいやん」

「ちょ、あんた明日香様に無礼な――」

みなみが女を睨みつけたが、そんなのお構いなしと言うように女は続けた。

「あんたも変やで。っていうか、あんたら何や可笑しな集団やな?」

地面に両手膝を着いて涙を浮かべている美穂に、その美穂の頭を撫でて慰めている由紀。侍のようだと言われた明日香のキョトンとした顔の隣で、膨れっ面で怒っているみなみ。

それらを眺め見た女がもう一度笑うと、涙を左手で拭いながら「ごめんごめん」と言った。

「よっしゃ、お詫びや。今日は好きなだけ食べていってや」

美穂の顔がぱぁっと明るくなる。

「いいの?いいの? やったー! ありがとうチロちゃん」

ピョンピョン跳ねる美穂が嬉しそうにタコヤキを貪り始めた。

「チロ……?」

美穂が女をそう呼んだのを疑問に抱いた由紀が、タコヤキ屋の看板を見上げて、「ああ、そういうことか」と呟いた。

そこには、『タコヤキ屋 チロ』と書いてあった。