「天使長様、お客人がお見えになられてますが、如何なさいましょう?」

「通して頂戴」

「はっ」

パタパタパタと天使兵の足音が背中越しに遠ざかってから、扉が音を立てて開いた。

閉まる音がするかしないかのとこで振り向く。

「お久しぶりね、お元気だったかしら?」

「メータリュ様こそ、いや、天使長様とお呼びになられたほうがいいですかな?」

メータリュの前の椅子に腰を掛けた老婆が、ほっほっほっとわざとらしく声を上げて笑った。

見た目は人間でいうところ80歳ほど、天使齢は500歳を過ぎており、天使界一の長寿のため、メータリュ以外の天使からは長老と呼ばれていた。

「そういう冗談はやめてちょうだい。それより、今日は何の用件できたのかしら?」

足を組み替えたメータリュが椅子の背に凭れるようにして、口の端を持ち上げた。

「それこそ、そういう冗談はやめなされ。私がなぜここへ来たのかくらい判っておろう」

老婆が自身の杖に両手を付き、やれやれと呟いた。メータリュは相も変わらず不敵な笑みを零していた。そして、呆れた物言いでこう言った。

「捨てられた天使の子が、今度はゲートを抜けて人間界へ行くとは・・・・・・まったく、天使界に災いでももたらす気なのかしら」

「まあ、そう言いなさんな。それよりももっと重大なことがあるであろう」

眉を持ち上げた老婆の声が低く響いた。メータリュの顔には笑みが消えかけていた。

「千年もの間、一度も開くことのなかったゲートが開いたことのほうが、問題ではありませぬか?」

一瞬の沈黙。先に口を開いたのはメータリュのほうだった。

「何が言いたい?」

「メータリュ様ほどの方なら、あのゲートがどのような経緯で作られたかくらい、ご存知でしょう。

あれは、人間界と天使界を分断するために、妖精たちが己の命を掛けて作られた門」

「知ってるわよ。それくらいの知識なら今の若者でも天使学校で習うでしょう」

少し苛立ちを見せたメータリュが、ティーカップを乱暴にテーブルに置いた。それを眺めるように見た老婆がさらに続けた。

「かつて、人間と天使、そして妖精は共存し合っておりました。人間は大地に根を張り食物を育て、天使は大空高く飛び、風に乗って雨雲を運び、妖精は自然に宿ることでその成長を早めていたそうです。・・・・・だが、その平和も長くは続きませんで、人間はこの三種族の頂点にどうしても立ちたくて仕方がなかったのでしょう。ついに、天使達は人間に愛想を尽かし、人間界を去ったのです」

ここまで言うと、老婆は「ふぅ」と息を吐き、お茶を啜った。メータリュが右手で頭を支え、肘掛に乗せたとこで再び老婆が口を開いた。

「その後、数十年の間は何事もなく過ぎていったそうですが、ある年に乾期が人間界を襲いました。いつになっても降らない雨を、人間はジッと耐えて待っていたのですが、ある人間の一言が天使界を攻め入ることに繋がったのです・・・・・・・『これは、天使の仕業だ』と・・・」

「何が天使の仕業ですって!」

テーブルに両手を着いて立ち上がったメータリュが、鼻息を荒くして大声を上げた。

「天使長様、如何なさいましたっ!?」

声に気づいた天使兵が扉を勢いよく開け放って、心配そうに姿を現した。

それを睨み付けながら、ゆっくりと椅子に座ると、「何もない、下がっておれ」と命令した。

再び扉が閉まるのを確認してから、老婆が笑みを作って喋りだす。

「そんなに熱くなるでない、所詮言い伝えじゃ。どこまでが本当でどこまでが嘘かなんて判らんこって」

「全部本当のことに決まってるでしょ!?天使が嘘の書物なぞ作るわけないじゃない!」

やれやれ、と言った表情で老婆が首を振った。そして話の続きを話し出す。

「そして、人間は天使界に攻め込んだんじゃ。天使と人間の戦争は、長い間続き、それを見兼ねた妖精たちが人間界と天使界の狭間に門を作ったというわけじゃ」

空になった湯のみを置くと、メータリュの目を見てまた口を開いた。メータリュは老婆の目を見据えて口を真一文字に結んでいた。

「だが、一番可愛そうなのは、人間でも天使でもなく、その間に挟まれておった妖精たちよのう・・・・

結局は、妖精が犠牲になってその戦争を終わらせたんじゃからの・・・・・」

老婆が悲しそうな表情で窓の外を見た。一羽の鳥が木の枝に止まって、「チチチチ・・・」と鳴いた。

「その扉がなぜ今頃開いたと言うの?」

メータリュが話しの本題を戻した。老婆が視線をゆっくりとメータリュに戻す。だが、先ほどの饒舌振りとは裏腹に何も口を開かなかった。

二度咳払いをしたあと、メータリュが老婆に顔を近づけて言った。

「ノンテ婆、あなた何か知ってるんでしょ?」