破産するまで応援した画商の鏡
類は友を呼ぶ―
アヴァンギャルドな画家のそばには、
しばしばアヴァンギャルドな画商がいる。
印象派が「落書き」「未完成」と嘲笑され、
サロンでも世間でも売れなかった時代、
モネたちを経済的に支え、
作品を“世界で売れる”まで押し上げた男がいた。
画商ポール・デュラン=リュエルである。
当時、評価の入口はサロンの審査が握り、
生活は注文や入選に左右された。
彼以前にも画商はいたが、
多くはサロンで名声を得た作家や、
すでに需要が見える作品を扱うのが基本だった。
無名なだけならまだしも、
酷評され“悪名”すら背負う新しい絵画を、
生活ごと抱えて守るのはリスクが大きすぎる。
ところが画商の家に生まれたデュラン=リュエルは、
常識よりも直感に従うことにした。
モネ、ルノワール、ピサロらの「光と空気」に価値を確信し、
作品をまとめ買いし、
ときに前払いで制作を支え、
作家を専属的に抱えた。
さらに個展を企画し、
在庫を抱え、
ロンドンやニューヨークへ販路を拡げる。
彼にとって画商とは、単なる仲介人ではなく、
芸術を守り、観客と市場を育てる“プロデューサー”だった。
当然、資金繰りは何度も破産寸前になる。
それでも彼は手を引かなかった。
晩年、彼は「狂気は賢明だった」と回想したという。
モネもまた、彼なくして印象派は生き延びなかったと語ったと伝わる。
評価経済のいま、
悪名高い鼻つまみ者を応援するのは簡単なことではない。
自分にまで悪評が付いて回るからだ。
しかも何度も破産しかけている。
それでも彼のような存在がいたからこそ、
いま世界中で印象派の絵を楽しむことができる。
モネの名はとても有名だけど、
モネと同じくらい、彼の名前や存在を伝えていきたいと思う。
