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 友人の写真家、海田悠さんのスタジオは地上の楽園の趣といったらよいのか、なかなか体験できない異な雰囲気のある空間だ。一度ハマるとなかなか抜け出せない。名前も分からない異国の植物が種々生い茂り、鳥や猫や時にうさぎもいたりする。しかしなんといっても、最近ますます妖気を漂わせている主人公海田悠さんの風貌や、また、出入りする種々雑多な人々がこの楽園をいや増しに魅力的にしている。やたらと外人が多くて、フランス語や英語が始終飛び交っている。
 当然ながら来客には表現者が多い。先日、このスタジオに引っ越してから5年になるお祝いのパーティーがあり、そこで、若い女性の絵描きさんとお会いした。近藤麗子さんというその絵描きさんと話していたら、彼女の話の中に「場の力」の話が出てきて、興味をそそられた。たまたま、いま編集中の本の作者、中嶋英雄さんというお医者さんと、そのパーティーの数時間前に「場」と「霊性」の関係について話したばかりだった。
 後日、近藤さんの絵をそのホームページで見て、軽いショックがあった。こういう絵に初めて出会った。なんと表現したらいいのだろう。この世ならぬ不可思議な世界に足を踏み入れたような・・・・・土地土地に固有の神が宿るという産土(うぶすな)の信仰を思い浮かべたり、一緒に仕事をしているC・Wニコルの森への愛に似たものを感じたりもした。作者は「大地と直に対話しながら」描いているといい、その大地のエネルギーを感じ取って絵に落とし込んでいるのだという。「多幸樹」(写真下)のほうは、喜界島の古木らしいが、古木に舞う蝶の絵にも、祠に覆いかぶさるような桜の古木の絵にも、しかし、不思議な明るさがある。そこに感じ入ってしまった。
 明治政府の神社合祀令に猛烈な反対運動を起した紀州の巨人、南方熊楠が執着したのは、「産土の神々」と古来からその土地に住む人々との関係を壊すことに大いなる怒りを感じたからだった。自ら縄文人だというニコルが、ぶなの森とそこに住む神々に感動して日本に定住し、そのぶなの原生林を伐採している林野庁の愚行に怒りの矛先を向けたのも、同じ考えからだったのだろう。ニコルは森で古木を抱きしめると、そこに大地の魂の声が聞こえるという。
 土地の霊とか魂というのは、日本人にとって「神」と同義語なのだろう。もともと日本人にとっての神はキリスト教の神のような「人格神」ではないから、神の形もいろいろだ。司馬遼太郎さんが言っていた。例えば自然の中にきれいに澄んだ水たまりがあったとすると、もうそこに神がおわす、というのが日本人の考える神だと。
 近藤さんの絵を見てもう一つ考えたのは、日本画家の片岡球子さんのことだ。片岡さんの「赤富士」がいまとても人気である。なぜ富士が赤いのか? ずっと疑問だった。広重の「赤富士」も有名だが、これは夕焼けに染まる富士、と納得ができる。しかし、片岡さんの赤富士は違うのではないか? と僕はずっと考えてきた。その答えが、あるときひらめいた。彼女は、人物画で有名になったが、いつの頃からか、自然もよく描くようになり、火山に興味を持った。彼女は執念の人だから、日本の火山をくまなくめぐり、最後にたどり着いたのが富士だったという。はて、彼女の富士が赤いのは、その地底に息づくマグマを感じ取っているからではないか、というひらめきである。笑われるかも知れないが、彼女の自然に対する態度をみてきて、そう思えるのだ。近藤さんの自然への向き合い方が、片岡さんのそれに似ている。
 この若い画家の絵にはメッセージ性がある。そのメッセージの中身が、これからの作品を見てゆくと、そのうち僕にも分かってくるような気がする。