小林秀雄が生きてたら、今の日本をどう思う? | 編集長ブログ

編集長ブログ

ブログの説明を入力します。

小林秀雄氏

 

 「小林秀雄の思ひ出」を毎日読んでいる。郡司勝義さんという編集者の書いた分厚い本だ。面白い証言がたくさんある。

 6月に、神奈川大学で持っている講座で小林秀雄のことを話すので、この本を読もうと思っていた。先生が亡くなって35年が経つ。私が先生に会ったのは、もう40年以上前のことだが、自分が編集者として最初に出会ったのは小林先生だったから、この人への思いには特別なものがある。それにつけても、最近よく思うことは、小林先生が生きていたら、今の日本のことをなんというかということだ。この最近の文化的後退をどれほど嘆き悲しむことだろうかと思う。

  

 麻生太郎という副総理がなにかと話題を作っている。新聞をよまずに新聞を批判するから、またまた失言を謝罪・撤回している。よほど新聞に憾みがあるのだろう。この人は先日、記者会見で、森友学園の文書改ざん問題に触れて「文書の有無(ゆうむ)について・・・」といった。

確か昨年、未曾有を「みぞうゆう」と言って笑われた。「有」を「う」と読めないのだろう。度々の失言、口をへの字に曲げて新聞記者にくってかかり、間違ったことを平気で強弁する。安倍首相も「云々(うんぬん)を読めずに、「でんでん」といって笑われた。二人に共通しているのは漫画好きなこと。二人ともマスコミ批判、特に朝日新聞、東京新聞への反発はすさまじい。今回の森友文書改ざん問題は、朝日新聞の特別編成チームの執念の取材活動に足をすくわれた結果ともいえる。

 この程度の教養と知性の持ち主が、先進国日本の政治のリーダーであることがどれほど恥ずかしく危険なことか? 欧米の政治やビジネスのエリートは、最低限美術や音楽の教養は持ち合わせている。二人の政治家は日本の文化的後退を象徴しているように思う。

 

 本居宣長を礼賛する小林秀雄を保守的な右派文化人と決めつけている向きが昔からある。右派論客の小田村寅二郎らと親しかったこともその一因だろう。しかし、小林秀雄は生涯、政治的イデオロギーを持たなかったし、はっきり「自分は政治嫌いだ」と公言していた。戦後の文化人が左寄りの発言をした時代に、その風潮にも同調しなかったから、先生を右派文化人と決めつける人たちがいた。先生は右派でも左派でもなく、政治嫌いなのだ。天皇について、みんなと同じように普段はアンティミテ(親密さ)はないが、敬愛の気持ちはあると語っていた。

ごく一般的な明治生まれの人間の天皇観なのだ。

 宣長礼賛も、宣長を文学的に高く評価し、その生き方や人間性にほれ込んでいたからだ。「宣長さんは国粋主義とは無縁です」ときっぱり言っていた。宣長から皇国史観が生まれたかのように言われることも間違いだといい、、宣長の没後、神道に傾いていった平田篤胤とは、一線を画していた。宣長は、儒教や仏教が入る前の古代の日本人がどんなことを考え、どんな言葉で話し、どんな生き方をしていたかを純粋に知りたかったのだと言っている。「宣長さんは、神のことは自分には分からないといっていた」とも話していた。

 靖国神社の軍事博物館「遊就館」に、宣長のあの「敷島の大和ごころを人問わば・・・」の歌が麗々しく展示され、軍国主義や皇国史観に利用されていたことを、先生は苦々しく思っていた。

 

 桜の時期になると、小林先生が亡くなった後、鎌倉の小林先生の家でした花見を思い出す。先生の好きだった普賢象という桜の下でお弁当を食べて先生を偲んだのだ。先生のお嬢さんの明子さん、孫の白洲千代子ちゃん、新潮社の先輩だった池田雅延さんも一緒だった。

 新潮社時代に、私の上司で小林先生の最初の担当だった菅原國隆さんの仕事を引き継いで「小林秀雄講演テープ」を刊行した。私の後には岡田雅之君がさらに巻数を増やし、CDの総数は20枚くらいになった。そのCDをいままた、毎日聞いている。聞いていると、今の日本の社会や風潮について苦言をいう先生の声が聞こえてくるようだ。