イタリア映画 変わらぬ魅力 | 編集長ブログ

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「鞄を持った女」のC・Cとジャック・ぺラン

 

――西行忌不良が文化を産み落とす (春樹)

朝日で角川春樹さんと作家の佐伯泰英さんの往復書簡が連載されていた。7月15日の春樹さんの手紙にビートルズ礼賛の文があり、この句が載っていた。[文化を創ってきたのは不良だ」、名言だと思う。29日の土曜で連載は終わった。最終回の春樹さんの句は「雲の峰われに天職ありにけり」。出版人として死の瞬間まで全力を尽くすと語っていたが、その気概にはいつもながら圧倒される。今年75歳。同じ出版人として後塵を拝してきたが、何か今回の記事には、ぐっと胸に迫るものがあった。

 

 わが日本の今の文化的後退をいつも嘆いているが、なぜ、こんなことになったのだろう? NHKBSでウイーンのシェーンブルン宮殿野外

コンサートの録画を放映していた。椅子席のほかにも、芝生に数千人の聴衆が自由に思い思いの格好で演奏を聴いている。77歳になったエッシェンバッハが指揮をして、おもにドボルザークの作品が演奏された。途中から、ソプラノのルネ・フレミングが出てきて、ドボルザークのオペラから何曲かのアリアを歌った。エメラルドグリーンのきらきらしたドレスを着たフレミングは、ステージに登場した瞬間からもう観客を魅了していた。相変わらず透明感のある美しい声。ウーン、素敵だ!

 ウイーンのオペラハウスでも感じたことだが、この国には、音楽を愛してやまない人々がいかに多いことか。その根底に人々が持つ「美しきもの」への憧憬があって、それがヨーロッパ文化を支えてきたように思う。

 

 考えればこのウイーンに花開いた文化だって、イタリアのルネッサンス文化が先にあっての話しだ。しかし、オペラもバレエも、イタリアがひさしを貸して母屋を取られたような感じがするのはなぜだろう。オペラは1600年にモンテべルディによってフィレンツェで始まったと言われるが、その後、イタリアのオペラ関係者はヨーロッパ各地に出稼ぎに行き、それでオペラがヨーロッパ各地に広まってゆくが、肝心のイタリア本国のオペラは空洞化した時期があったという。バレエも、イタリアに生まれ、その後似たような変遷があって、フランス宮廷やロシアで花開いたという。この話、何かイタリア人の気質を物語っているように思えないか。

 

 イタリア人を理解する意味もあって、この3年、イタリア語を習っている。覚える傍から忘れるので、一念発起して、毎週一本のイタリア映画

を観ることにした。先週、試しに字幕なしのイタリア映画「鞄を持った女」を観た。クラウディア・カルディナーレ(C・C)とフランス人俳優のジャック・ぺランが主演。ふたりともわが高校生時代のあこがれのスター。映画雑誌にC・Cの特集が載ったりすると、飛んで買いにゆき、飽くことなくその写真に見入ったものだった。

 もちろん字幕なしの映画の台詞は正確には分からないが、それでも堪能した。この映画の二人はまぶしいほどに若く美しい。ぺランなど演技以前という感じだが、それも問題にならない。若く美しいということは、それだけで価値がある。

 その前の週には、ピエトロ・ジェルミを4本立て続けに観た。「鉄道員」

「わらの男」「刑事」「誘惑されて捨てられて」。学生時代に観た映画ばかりだが、初めて観るようなワクワク感があった。ジェルミの役者としての魅力、監督としての才能に感服した。

 フェリーニやヴィスコンティの作品を昔から熱心に観てきたが、いま、イタリア映画の幅の広さ、映画人の層の厚さを改めて感じている。