晩年の井伏さん
地縁というのは面白い。今は吉祥寺に住んでいるが、この町に昭和初期の面影のある家が何軒かあって、自分にはなんとも言い難い心地よさがある。子供を連れてよく通った善福寺公園にも近いし、その向こうの荻窪にも何か縁を感じているのは、昔、井伏鱒二さんの家によく通ったことが強い思い出になっているからかもしれない。井伏さんは昭和2年から荻窪に住んでいた。善福寺公園は井伏さんが愛した散歩コースだった。この土地とは実に深い地縁がある。
神奈川大学で6月から生涯学習講座の講師をすることになった。「編集者が語る素顔の作家たち」というシリーズだ。最初に誰の話しをしようか考えたとき、すぐに井伏さんのことが頭に浮かんだ。「井伏鱒二と荻窪の家」というのはどうでしょうと、関係の方たちに話したら、面白いと言って頂いたので、まず、2回で井伏さんのことを話そうと思う(1回目は6月10日、2回目は6月24日)。
井伏さんの荻窪・清水の家には、この作家の人間的魅力に惹かれて多くの文士や土地の人が遊びにやってきた。その昔は、太宰治や檀一雄、後年、開高健や安岡章太郎もお酒をもってやってきた。地元の古老との交流はよく随筆に書かれているところだ。
それでいて先生は人見知りである。新潮社時代の上司だった菅原國隆さんは、私を初めて井伏家に連れて行ってくれた時、そう教えてくれた。「実は気に入らない人にはお茶も出さない」と言われた。菅原さんは戦後長く井伏さんの担当をし、先生が最も信頼した編集者の一人だ。気難しいというのではなく、はにかみなのだろう、と先生にお会いしてから思った。多くの人が来るからと言って、「千客万来、来る人拒まず」ではない。「お茶が出たらまあ合格。お酒が出たら相当なもん」だという。
私はその後、幾度も荻窪の家に伺い、先生からお酒もご馳走になり、奥様の手料理も食べさせて頂いた。まあ合格ということなのだろう。その都度、いろいろな話を先生から伺い、それは、先生の人となり、そしてこの作家の実像を考える上でもちろん大いに参考になった。
講座には社会人の人たちが集まるらしい。私は研究者ではないから、講座で井伏さんの作品のテキスト・クリッティックをするつもりはない。荻窪と地元の人々について書いた『荻窪風土記』や『厄除け詩集』はとりあげるが、あくまで、編集者が実際に会った作家の実像に近づこうとする試みである。それが、作品理解につながる一つの道だと思うからだ。
昭和という時代に生きた多くの作家たちと出会えたことは、自分にとってかけがえのない体験である。同時にそれは、ささやかながら、文学の歴史の証言にもなってゆくのではないかと思い、今度の講座をやってみたいと思った。
ご興味のある方には、是非ご参加いただきたい。
6月10日(土)15:30~ 6月24日(土)15:30~
受講料 3500円(2回分)
会場 KUエクスポートスクエア 神奈川大学みなとみらい
エクステンションセンター
(みなとみらい線「みなとみらい駅」徒歩2分)
【お申込み】 神奈川大学 生涯学習講座係 TEL045-682-5553
