亡くなった大学親友は私と同じ文芸同好会に所属していた。
彼女が生きた証として詩やエッセイを公開しようと思いたつ。
学生時代、文芸同好会の皆で作った二食刷りの簡易な同好誌をひっぱりだしてきた。
彼女が書いた詩やエッセイを読む。
まだ19歳の彼女。
あの頃、こんなことを考えていたんだね。
遠い日の彼女を近く感じることができた。

公開するには著作権があり、遺族の同意が必要と知った。今、遺族はそれどころではないし、彼女の家にもあるはず。公開するのはやめておくことにした。

こんなことがあった。
出版費をいくらか捻出するためだったと思う。
文化祭で綿あめを作って50円で売ったことがあった。
安いから子供が行列を作って待っていた。
お酒だったか紙コップに入れて、彼女と一緒に
売り歩いたこともあった。
綿あめの機械の隣でテーブルに並べていた同行誌は知り合い位しかあまり売れなかったように思う。

「山の音〜泣き疲れたあとで 11号 」
(東京薬科大学文芸同好会 昭和57年11月発行 )

開いて読んでみても、皆がペンネームで書いてあるので、一部の人以外、誰が書いた作品かわからない。
みんなどうしてるのかな。
フェイスブックで繋がってみようとしたのだけど、まるっきりわからなかった。

ガリバンで手刷りの文集「投影」も皆で作った。
表紙は私が手彫りで彫った金閣寺の木版画。

親友の詩やエッセイは公開できないので、自分が20歳の時に書いたものを公開。

「青春」

あれは、実習テストの日であった。例のごとく、大部分の人が後ろの席に座り、授業中、試験勉強をしていた。すると先生が、「君たちは、貧困な青春だね。単位を取ることしか、頭にないのか。」と言い、自分の学生時代には、毎日映画を見に行ったものだと話した。
 そこで、青春とは、何かに熱く燃えるエネルギーだと、私は思う。そのエネルギーの発散する場所を、自分にではなく、他の方面へ向けると、それは学生運動になり、暴走族になり、中学生の校内暴力となる。そして、今や非行化は、小学生にまで浸透している。彼らを、このように追い込むには、それだけの要因が、社会環境にある。
 さて、先生の言うように、自分の好きなことをするのも青春である。しかし、みんながみんな、自分の好きなことばかりをしていては、世の中は成り立たない。例えば、全国に何十万といる大学生のほとんどが、映画や麻雀なので毎日遊んでいて、肝心の勉強しなければ、世間は何と言うだろう。「近頃の若者は、大学に遊びに行くのだ。」、言うに違いない。いや、現在、それが常識となりつつある。それは、社会へ出る前の許された甘えである。
 普通大学と違って、専門大学たる東薬には、自分の時間が少ない。自分の時間をもっと作ろうと思えば、他の時間を削減すればならない。すなわち、授業の放棄である。しかし、それができないのが、現状である女子は、確かにまじめである。ほとんどの人が、授業を休まない。見よ、教室取りの大変なこと。誰もが、人に取り残されたくないと思っている。そこで、要領の良さを覚える。、これは、仕方ないことだ。
 たとえ、それが貧困な青春だとしても、我々はは、やることをやっている。薬剤師になると言う目的のもとに…。
 人の生き方は、さまざまである。自分の思うよう器用に生きる人もいれば、頭しながら不器用に行ける人もいる。空に浮かぶ雲のように、あるいは、川の水のように、ただ流されていく人もいる。
 滝を勇ましく上る鯉を見て、自分もまねしようと思っても、自分が鳥であったなら、溺れるだけである。鳥は、大空を飛ぶだけで、十分なのである。ある人の生き方を、うらやましく思い、真似しようとしても、それは無駄な努力でしかない。大切なのは、自分を素直に見つめ、自分なりの生き方をすることである。この世に、自分というものは、1人しか存在しないのだから。

・・・・・
青春時代。人生で一番、頑張った時でした。
彼女と出会ったのも、名前があいうえお順で、実験する時に同じか近くのテーブルに座ったからでした。
白衣を着た彼女は凛としていました。

人の話を「ウンウン」と笑顔で頷きながら聞いている明るい優しい彼女でした。
聖母マリアさまのような優しい顔をしていました。
まだ信じられない。あなたがいないなんて。

あなたのことが大好きだったよ!えっちゃん!