お気に入りの小物シリーズ
今回は30年モノの本革システム手帳






今は横書き罫線紙をセットしメモ帳として使っています
予定表はセリアの100円ダイアリーで十分だからね
それにスマホでも管理出来るからね~

横のボールペンはsinar(4×5シートフィルムカメラ)のノベルティグッズです

関西のかなりハイクラスの写真事務所から、20代後半に独立して写真と企画の個人事務所を営んでいた時、様々なフォーマットのカメラを使用していた

35mmはCANONで統一してCPS(CANON pro service、プロ会員の事です)に推薦で入っていた
遊びでLEICAのM3と35mmと50mmのズミルックス1stモデルを持って街スナップをしていた

中判はHASSELBLAD500CMの6×6と.MamiyaのRB67、フジのGX680を使っていた
大判はsinarのPⅡとFⅡに、レンズはFUJINONというラインナップでしたね

引き伸ばし機はフジの69と45に、伸ばしレンズはNikonを付けていました
(フジGX680とsinarと大判レンズはリースで、それ以外の機材は所有物でした)
(リース期間が済むと自分の物になりそれらは売り払った)
(LEICAのM3はメチャ良かった)
(LEICAを手放す時は、買った値より高く売れました)
(今は全部手元にないですけどね~)

その当時からド近眼で、暗室の薄赤暗い照明の下、イーゼルマスクにボツ印画紙をセットして、鼻眼鏡にして裸眼でピント調整し、イッパツ焼きで仕上げていた
(印画紙は種類によって厚みが違うので、それぞれのボツ紙に種類を書いていました)
(自宅事務所でしたので、空いている部屋を暗室に改造して自分で紙焼きしていました)
(水道を引くのは面倒なので、全紙用のプラ製バットに水を張って仮水洗していました)

広告代理店のフォトグラファー時代は、毎日毎日100枚程紙焼きしていました
慣れてくると紙焼きする時は、ボツ印画紙に投影されたネガを見ると露光時間が解るようになるのですね
で、イチイチ竹ベラなんて使わないで、手で現像液から定着液まで処理していました

何しろ時間勝負な現場でしたからね~
同じ画を20枚焼く時などは、1度に20枚露光してから、その後にその20枚を1枚ずつ連続して現像液に入れていくという事なども行っていました
なので手指の先には銀が入って黒ずんでいましたよ
危険なのでおすすめしませんけど、プロの暗室マンはそういう人が多かったですね

⇧の手帳カバーはその頃から使っている物です
そしてこんな物⇩もあります






Kodakのディレクターズチェアのノベルティ
通販カタログの撮影では、ブローニフィルムを数千本使うので、色んな物を貰いましたよ
この椅子は今でも使っています
コレもヤッパリ30年モノですね~(笑)