レーモン・ルーセル
Raymond Roussel
1877、パリ – 1933、シチリア島パレルモ

最初の宣言に迎えられた比類なき作家

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単独者かつ面食らわせる人物。
彼はシュルレアリストたちばかりを魅了した訳ではなかった。

ある資産家の遺産を相続し(億万長者と言われていた)、ルーセルは風変わりな、ダンディーな生活を送り、文学的栄光は約束されたものと信じ込んでいるようであった。

かくして彼は奇異な小説群 ―― 『アフリカの印象 Impressions d'Afrique 』(1910年)、『ロクス・ソルス Locus Solus 』(1914年) ―― を出版し、多額の出資をし、演じることのできない劇作品を上演させた ―― 『額の星 L'Étoile au front 』(1925年)、『塵のように無数の太陽 La Poussière de soleils 』(1926年) ――。
観客はやじり、退席したが、シュルレアリストたちはその奇抜さに拍手喝采で応えた。

シュルレアリスムへの合流を誘われたが、ルーセルはその申し出を断った。

パレルモでの謎の死から2年後(自殺とみなされた)、遺作品『私はいかにして或る種の本を書いたか Comment j'ai écrit certains de mes livres 』(1935年)は、彼の謎を解く手がかりを漏らした。
ルーセルは、奔放な想像力に身をゆだねたのではなく、恣意的な、非論理的なさまざまな方法(プロセデ)を体系的に探検していた。

規格外のこれら作品に対するシュルレアリストたちの(また後世に人々の)関心は、明らかになった秘密によっては何一つ損なわれることはなかった。


彼はまた、構造主義者たち、ヌーヴォー・ロマンの信奉者たち、ウリポのメンバーたち、ミシェル・フーコーたちも魅了した。




日本アートNipponArtでは、 Alain et Odette Virmaux, Les Grandes figures du surréalisme international, Bordas, Paris, 1994.を「シュルレアリスム人名事典」と題して翻訳中です。あくまでも、ご参考までに。

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