三月十日の朝、 | 美術家 村岡信明 

美術家 村岡信明 

漂漂として 漠として  遠い異国で過ごす 孤独な時の流れ
これを 私は旅漂と呼んでいる

東京大空襲

 

三月十日の朝!

 

今日三月十日は、東京大空襲76周年。この朝の光景は、生き残った人間の地獄曼荼羅(まんだら)

炎に包まれた地獄(じごく)の夜が明けた。まだ燃え残る地獄火のなか、周囲は黒い煙に包まれて、見渡す限り焼き殺された人間の(しょう)死体(したい)が、るいるいと続いていた。

炎の中で(はな)ればなれになった親と子が交差点で出会って、抱き合う親子。

赤い涙を流して「私の子供を知りませんか?」と我が子を探している母親もいた。

川面(かわも)溺死(できし)した人間で(おお)われ、その死体の下を川が流れていた。

川の中で、生き残った母親が乳呑児(ちのみご)をかかえて「生きていた!」と抱きしめていた。

 

家族はみんな殺されて、焼け跡に一人だけ生き残った近所の美智子ちゃんもいた。

 

大空襲に生き残ったが、食べる物は何もない。飲む水もない。寝るところもない。

明日もない。未来もない。ボロボロのすがたで絶望(ぜつぼう)の焼け野原に立っていた。

ボランティアは一人も来ない。仮設住宅は一軒も建たない。支援金は一銭もない。それどころか日本政府は(いま)罹災者(りさいしゃ)に一銭の補償(ほしょう)も。一銭の支援金も払っていない。

敗戦(はいせん)から76年が過ぎた。生き残った人たちの多くは(かえ)らぬ旅路に去っていった。

 

これは昔の話ではない。現在の、あなた方の明日の姿である。日本政府は憲法9条を改正するどころか、閣議(かくぎ)解釈(かいしゃく)だけでアメリカの属国(ぞっこく)の軍隊として、いま戦争への道を進んでいる。

いま76年前のこの時間を思い出している。

2021・3・10、水