ホロコースト東京大空襲、 | 美術家 村岡信明 

美術家 村岡信明 

漂漂として 漠として  遠い異国で過ごす 孤独な時の流れ
これを 私は旅漂と呼んでいる

 

ホロコースト東京大空襲

 

東京大空襲から76年が過ぎた。と言っても、今の人はほとんど知らない。

東京大空襲はアメリカ軍が2年間かけて計画した。ホロコースト(皆殺し)大空爆である。勿論、女も子供も。生まれる前、お腹の中にいた赤ちゃんまでも殺された。

嵐のように落ちてくる焼夷弾。“すがるのは祈りだけか”

 

阿鼻叫喚(あびきょうかん)。炎に巻き込まれて狂い死ぬ人間。

恐怖で狂った男が炎の中で、にゃ!と笑いながら死んでいった。

ゴウゴウと吹きすさぶ火風に乗ってきこえてくる。般若心経を唱える老人。

 

アメリカ軍の総司令官ルメイは「東京を地上から抹殺(まっさつ)する」と豪語(ごうご)していた。

計画が敢行(かんこう)されたのは、1945年3月10日の午前0時過ぎから、2時間かけて東京は

(もう)爆撃(ばくげき)され、殺された人間は10万人以上、家を焼かれた人は20万人以上であった。

アメリカの超大型戦略(せんりゃく)爆撃機B29の窓か見ると「東京は炎の海であった」と爆撃手(ばくげきしゅ)が記録に書いている。さらに「機内には焼け死んでいく人間の臭いが入ってきた」とも。

 

ホロコースト東京大空襲は死んで当たり前、生き残ったのは奇跡(きせき)に近かった。私も炎に包まれた。そのままであれば、死んでいたであろう。

風向きが変わって炎が移動したので生き残った。

 

これが戦争(せんそう)の実態である。

 

2021・3・8、月