痩西湖と寒山寺、 | 美術家 村岡信明 

美術家 村岡信明 

漂漂として 漠として  遠い異国で過ごす 孤独な時の流れ
これを 私は旅漂と呼んでいる

 痩西湖、寒山寺へ、

~~~~ 寒山 拾得 いわれの寒山寺、~~~

 

江蘇省に名所旧跡は数多くある。その一つに“痩西湖(そうせいこ)”がある。

許さんから、「明日は痩西湖に行きましょう」と聞いたとき、私は西湖とその違いが分からず、てっきり“西湖”と思っていた。そのあと許さんが詳しく説明してくれたので分かった。西湖を模して造ったのが痩西湖、痩とは小さい、の意味なので、小さい西湖であった。

痩西湖を巡りながら許さんは、歴史にまつわる面白い逸話をいろいろ教えてくれた。私が特に関心を持ったのは、痩西湖の中に幾つかある建築物、それは中国の伝統的な亭閣建築。亭内に書かれた詩と書体に魅かれ、なかなか動けなかった。

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次に寒山寺へ、寒山寺といえば日本人にはなじみ深い寺、そして水墨画にも詩にも描かれている寒山拾得(かんざんじゅっとく)のいわれの寺、

“寒山”とは寒山の洞窟で幽閉生活を送っていた人の名前。“拾得”とは禅寺の住職に拾われて育てられた子供の名前。のちに行者になってから寒山と知り合う。

二人は非僧非俗の奇人と言われていた。

寒山と拾得の俗人をはなれた行動は美術の世界でも有名で、よく知られているが、

まさか寒山寺を訪れることが出来るとは思わなかった。

境内をめぐると、思っていた通りの古刹であった。草深い寒山寺の景観は失われた唐密(唐の時代の密教)の運命を語っていた。

寒山寺巡りは強く印象に残っている。私の写した搭の写真は、もう見ることはできない貴重な風景。

 

現在の寒山寺と周辺は整理され、建物は綺麗に塗り替えられているので、観光にはいいが、歴史を語る面影は薄れている。

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2018727、(金)村 岡 信 明