[コピー][コピー]円空破れ笠、円空 夕張山をゆく、 | 美術家 村岡信明 

美術家 村岡信明 

漂漂として 漠として  遠い異国で過ごす 孤独な時の流れ
これを 私は旅漂と呼んでいる

円空れ笠、93    

円 空 夕張山をゆく

~~~~ マクンネの道は遠く、険しかった~~~~

                  

夕張岳の山容は見る者に畏怖を覚えさせるほど魔性のある聖山の厳粛さを持っている。夕張山は円空にとって「回国一山禅頂(頂上に登る)」であった。

しかし、カムイモシリである頂上に登ることはなかった。

アイヌの聖山信仰は、高山にたなびく雲の上がカムイモシリ(神の国)、下がアイヌモシリ(アイヌの国)の境界であった。雲の上に聳える高き山々、峰々はイウオロ(山の神)の棲む場所、聖地であった。従って、夕張岳山頂は人間の足で穢してはならない聖峰であり、下から仰ぎ見て敬う聖山であった。これは中世(7世紀初期)まで日本人が持っていた聖山信仰と同質の信仰であり、円空も理解していた。

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修験者の価値観は“未知なる道は聖なる道、既知なる道は俗となる”である。

イクシュンベツまで、短距離でより安全な山越えの道はあったが、円空は山岳修験者であり、遊行とは山岳修験者の修験の行である。信仰的孤高の思想を持った円空は安易な生活道を選ばず、常人の登ることの出来ない山越えを自ら求めて入山したのである。

アイヌの若者は前と後ろで円空を挟むようにしてマクンネを登って行った。

「円空さん大丈夫ですか、」若者は時々声を掛けてくれた。

マクンネを上り下りして、森の深い崖に行ったとき、若者が立ち止まった。

「円空さん、あそこの洞窟が見えますか? あの中に熊が冬眠しています。今年も仔熊はいるでしょう。」指さす先に、雪を被った黒い穴が見えた。

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歩くほどマクンネは原生林の森の中であった。広大な夕張山地、日高山脈はアイヌの狩猟、採集など生活の場であり、落葉に隠れた細い道や獣道はアイヌにとって親族や部族だけが知る秘道であった。落葉して見通しのきく森林の中でもアイヌの先達がなければ通ることは出来なかった。

厳冬の夕張山従走は数日かけてつづいた。サルンタラの先達があったとはいえ、厳冬の夕張岳従走は円空にも苦しく辛い道のりであり、生涯忘れる事の出来ない遊行であった。

吹雪にふかれ、雪崩れをかぶりながら蝦夷地の屋根と呼ばれる夕張岳を歩きつづけたあと、原生林が拓けて、遠くに幾春別岳が見えた。

                 

 

201766日(火)、 村 岡 信 明