円空破れ笠、71、
円 空 己れを見つめる
~~~~オオタ カムイで、円空は葛藤をつづけていた~~~~
❜
カムイの窟に戻った円空は奥に置かれている彫像の前に座って何時ものように呪文を唱えていた。既に十数体の彫像が出来上がっていた。並んでいる彫像、
神仏の前に座る姿は変わっていないが、今日の円空はいままでと異なった次元で見詰めていた。
アイヌ モシリに来てからすでに半年が過ぎていた。こもったカムイの洞窟は幾つかあったが、ここ太田権現は絶壁にあり、海に向かって暗い口を開いた洞窟は死と隣り合わせていた。太田権現とは和人が付けた名前であり、そう呼ばれる以前から今も、アイヌは“オオタ カムイ”と呼んでいることも知った。
アイヌがカムイの窟に海難・受難から救いを求めて祈る心は、美濃深山の窟との違いはあっても庶民の神仏に祈る心は同じであった。
Ψ
威厳と格式の高い神社仏閣に祀られた荘厳な礼拝仏(れいはいぶつ)は、貴族や武家階層が現在の幸せが来世にまでつづくことを願う荘厳な仏像である。
だが円空が彫る神仏は名も無き庶民が苦しみ・悩み・病気を治してくだされ、とひたすら祈る木彫りの祈祷仏(きとうぶつ)であった。
美濃の深山で彫り続けてきた木端仏(こっぱぶつ)から小さな神仏は稚拙な彫像であっても、山里や村里の“えんくさん”(円空彫像)は幼子が風邪で熱を出した時に手に握られていた。若嫁が出産のとき妊婦の手に握られていたのも“えんくさん”であった。
円空は己れが彫った彫像が貧しい人々の生活のなかでいかに慕われ、どのように祀られているのかは知っていた。だが祈る人間の側から見ることはなかった。
「俺の彫る彫像は彫り上がって世間に出れば、もう俺を離れて村人・里人が祈る神さま仏さまになり、社会的な存在に変わる」。
修験者の行として彫る作仏(さぶつ)と庶民の祈りの対象としての祈祷仏、このあいだに芸術家、彫刻家の意識が割り込んできた。
オオタカムイの窟のなか、いつまでも円空の葛藤がつづいていた。
Ψ
何時の間にか窟の外は暮色が迫っていた。北海の天気は変わりやすい、空には雨雲がたれ下がり、奥尻海峡は深いガスに包まれて奥尻島は見えなかった。
細い雨が降りだした。窟の上から澄んだガラスのような雨だれが落ちていた。北海に降る雨はときおり強い風に吹かれて激しく降るが、またしずかな雨に変わる。
暗い窟の中に小さな雨だれの音だけがひびいていた。円空はじっと動かないで、いつまでも自分の彫った彫像と対峙していた。
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