炎映の薬師寺 | 美術家 村岡信明 

美術家 村岡信明 

漂漂として 漠として  遠い異国で過ごす 孤独な時の流れ
これを 私は旅漂と呼んでいる

(えん)(えい)の薬師寺

初めて奈良を訪ねて行った頃、西ノ京駅はひなびた駅で。踏切の警鐘までのどかに聞こえていた。茶店の並ぶ古い街道を歩いて行くと、薬師寺の裏門に出る。と言っても門も塀も無く、そのまま境内の中に入って行くと東塔の後姿が見えてくるが、さりげなく通り過ぎ、境内の中央あたりで振り向くと、凍れる音楽、と言われている六層三重の建築美が迫ってくる。

過ぎ去った千数百年の風雪に晒された素材の古色が気品ある歴史美を感じさせる。

対面する場所には、西塔の基壇だけが残り、芯柱を入れた孔には雨水が溜まっていて、その水面に東塔の相輪が映り、少し角度を変えると水煙に変わった。

薬師寺を背にして歩いて行くと、だらだら坂があり、そこを抜けると、うっそうと茂る葦原に出た。周辺は野生というより、荒れるにまかせた深い茂みで葦は背丈より高く両側から覆いかぶさっていた。

細い土道は昼なお薄暗い茂みの奥の方に続いていた。別に行くわけもないし、やめようか、と立ち止まったがまた歩き出した。

両手でかき分けるように葦道を進んでいくと、すぐに汗ばんできた。雑草の草いきれが濃く臭ってきた。足元のつる草に気を配りながら、どこまで続いているのだろうか、まぁ道だから何処かに出るだろう、とそんな思いを反復しながら歩いて行くと、突然、前に人が現れた。お互いに不意をつかれて、視線は合ったが挨拶をする余裕はなかった。大きな荷物を背負い、手に赤い風呂敷包を持った中年の女性だった。細い道なので、黙って私が茂みの中に入って道を譲った。

あとで知ったが、この道の先に精神病院があり、入院患者の家族が使う道で、一般の人が使うことはない、と言っていた。

しばらく行くと、葦の茂みが拓けて大きい池が現れた。通称七条大池と呼ばれている勝間田池である。この池が湿地帯となって野生の葦原を作っていたのだ。

             ♪♪

この茂みを抜けると素晴らしい出会いが待っていた。大池を通して葦原の彼方に薬師寺東塔が浮かんでいた。不気味な不安と道ずれで通り過ぎたあとに現れたパノラマだ。しかしこれはまだ始まりで、もっと壮大な未知なるドラマが繰り広げられていった。

澄んだ晩秋の空に暮色が訪れてきた。夕日が沈みゆくほど、淡いオレンジ色と濃い茜色が綾なしながら全天を染めて行った。黄昏は飛ぶ鳥を黒い点描に変え、夕焼けはさらに濃くなり、薬師寺東塔をプリマドンナに、炎の序曲が始まった。風も無く音も聞こえない葦原に佇み、東塔が真紅の炎に包まれる光景を、やがて闇となり、視界から消えるまで見つめていた。