円成寺 大日如来 | 美術家 村岡信明 

美術家 村岡信明 

漂漂として 漠として  遠い異国で過ごす 孤独な時の流れ
これを 私は旅漂と呼んでいる









ひとり晩秋の奈良路

(えん)(じょう)()大日如来を訪ねて



古代山岳信仰を研究している中で、おおくの仏像との出会いがあった。

その中で、密教では最高最尊の根本仏である大日如来も数多く見てきたが、まだ見ていない、どうしても見たいと魅かれている大日如来座像がある。それは奈良、円成寺に安置されている。



記憶では奈良市内からかなり山奥、と残っていたので、円成寺に直接電話して聞いてみると、バスの便は、時間帯にもよるが、1時間に一本または2時間に一本とのことだった。それ以上は調べなかった。

101日を選んで、早朝に家を出た。近鉄奈良駅に着いたのは11時過ぎ、バスの時刻表を見ると、柳生行きは12時29分までなかった。こんなことはロシアで慣れているので、のんびりと待つことにした。

バスは午後1時過ぎに円成寺に着いた。下車したのは一人の女性と私の二人だけ、何の標識も無いので、それらしき土道を行くと、受付はあったが誰もいなかった。大きい声で呼ぶと、奥の母屋から品の良い女性が出てきた。

「大日如来坐像は多宝塔に安置されています」と聞いて境内に入り狭い参道を往くと、とうとう会えると思う期待から、かすかな興奮がときめく、

多宝塔にも運命がある。初代多宝塔は文政元年(1466)応仁の乱の兵火で焼失。再建された二代目の塔は大正9年鎌倉に移され、その後、境内には基壇跡だけが残っていた。

1986年(昭和61年)現在の新しい多宝塔が建立された。

多宝塔はまだ新しく綺麗な朱色に映えていた。入り口はガラス張りでふさがれていた。なかを覗くと、明かりはなく、薄暗い中に大日如来坐像がぼんやりと見え、剥落に残った金箔だけが反射していた。目が慣れてくると大日如来は埃にまみれて青黒く、840年の時の流れを纏っていた。



完成時には全身に漆が塗られ、その上に金箔が貼られていたが。八百余年の星霜で、かなりの部分は剥落して、今は露出した漆黒の肌と残った金箔は曼荼羅模様となって、大日如来に“滅びの美”をも創りだしている。



1176年、座高98糎、木造漆箔、若き運慶の作である

1993年、国宝に指定される。この大日如来坐像には、幾多の秘められた運命があるが、ここでは割愛する。

  
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円成寺 多宝塔



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