小さなカルメン (下) | 美術家 村岡信明 

美術家 村岡信明 

漂漂として 漠として  遠い異国で過ごす 孤独な時の流れ
これを 私は旅漂と呼んでいる

スペインの旅漂

小さなカルメン  下)

村 岡 信 明

メソーンの中は、喧噪はなくなり、少し静かになった。でも、腰掛ける席が無いので、どうしようか、と二人で顔を見合わせていると、

小さな女の子が一人、私たちの前に来て、細い足でカタカタとタップを踏み鳴らし、スカートの裾をたくりながら、フラメンコダンスを踊りだした。小学二年生ぐらいだろうか、色白で黒い目の、とても可愛い女の子だった。

私は持っていたカメラのシャッターを切った。メソーンの中が一瞬、フラッシュの閃光で青白く光った。何人かの客が、私のほうを向いて

「お! ハポネス!」と声を掛けてきた。

そこまではよかった。その時ピアノの横から二人の子供を連れた中年の女性が出てきて、早口のスペイン語で話しかけてきた。意味は分からなかったが、

“まあ、ゆっくり飲んでいきなよ、”ともとれたし、“いいカメラだね”と褒めてくれているようにも感じられた。

その時、友人が私のシャツの袖を強く引いて、押すように外に連れ出した。

すると、追いかけるように子連れの女性も出てきて、今度は形相を変えて、怒鳴るようにまくし立ててきた。その剣幕の凄さ、何を言っているのか全く分からなかったが、自分が思っていたこととは、てんで違っていることだけは感じとれた。子供たちは三人姉妹に見えた。踊ったのは年上の子だった。

三人の子供たちも出てきて、母親だろうか、その女性の腰に手をやって、わたしの顔をじっと見つめていた。

メソーンを離れて、グランビヤ大通りに出ると、友人は、

「あれは母親で、〈子供の写真を撮ったのだから、チップを払え〉と言っていたのだ」と教えてくれた。

それなら、そうと、その時に言ってくれればチップをあげたのに。そう思いながらポケットに手を入れると、金色に光ったペセタ硬貨が何枚もあった。

日本に帰ってきてからも、それが気になって、時折思い出す。

あの子供たちは今でも夜になると、メソーンで日銭を稼いでいるのだろうか、じっと見つめていた黒い瞳が、スペインの印象と重なって出てくる。

悪かったね、セニョリータ、小さなカルメン!来年もまた行くから、その時にはいちばんに訪ねて行って、この写真をあげるよ、綺麗に写ってるよ、

勿論、借りたチップも返すよ、君の小さな掌の上に!