皆さま、おはこんばんち(^-^)/


昨日の夜から何だかモンモン

イライラしているイッツです。


人生って色々ありますね。

昨夜から変な気分になってしまい、

我が人生の思い出ソングを一人で

次々と歌ってしまいました。


歌って不思議なもので、その歌詞、サウンドを

ちょっと聞くだけで、当時の情景が一気に蘇ります。

そして、音と記憶の結びつき以上に

匂いと記憶の結びつきは思い出を支配する

思いました。

匂いは情景だけでなく、気温や湿度、その時の感情、

全てを思い出させます。

思い出の歌は、後から何度も聴きなおし、

歌い直せば思い出を上書きすることが出来ますが、

匂いばかりは一生、その思い出の場所に

留まっています。やっかいです。


やっぱり今日も何だか変です・・・。



さて、今回ご紹介する作品はこちらダウンダウンダウン


It’s Art Room

タイトル:種まく人

ファン・ゴッホ

1888年6月

クレラー・ミュラー美術館所蔵(オランダ)

縦64.5cm横80.5cm


ゴッホは日本で最もポピュラーな画家の一人です。

独特の色使い、タッチが良く知られ、

また、生涯絵が売れず気がふれ、自分で自分の

耳をそぎ落とし、最後はピストル自殺したことでも有名です。

『これぞ芸術家の極み!』みたいなイメージを

持っている人も多いことでしょう。

ゴッホの生涯が知られるようになってから、

日本では『死ななきゃ絵は売れない』などと、

間違い甚だしいジンクスがでっち上げられました。

きっと明治後期、日本で印象派、後期印象派の

画家や作品が本で紹介されるようになり、

ゴッホの生涯が当時の苦学生のハートを射止めたのが

始まりでしょう。岸田劉生も絶賛したいました。

現代、美術館に所蔵されている有名画家のほとんどは

現役で活躍中、それなりに裕福な暮らしをしています。

現代日本で活躍している(活躍していた)画家の作品も

亡くなった後は値が落ちています。



(すみません、今日はイライラしてるみたいです。)



ゴッホは生涯を通して様々な画家の影響を受けました。

特に、ゴッホが生きた時代は現在も名を残す

有名画家が生きた時代でもあります。

中でもミレーの影響は計り知れないものがあったと思います。

ゴッホは初期の頃から晩年まで、

常にミレーの版画や素描をゴーガンから

送ってもらい何枚もの模写をしています。

この、『種まく人』もミレーの作品の模写から

始まっていますし、『種まく人』だけでも数十枚、

ゴッホは描いています。


私はこの絵を14年前に実際に観ています。

他にも多くの作品を観ました。

感想は当時も今も変わらず腹が立ちます。

画家の人生は音楽のようなもので、

その時々の作品、ひとつひとつは5線譜に並べた

音符のようなもです。

最後まで曲を完成させること無く、奏でることを

止めてしまったのです。

自殺した時、ゴッホは37歳です。

50代、60代、その先のゴッホの絵が

どのように変化し、発展し、極まれていったか。


残念です。



音楽は一本調子では面白くありません。

あがったり、さがったり、ピアニッシモや

フォルテがあり、スタッカートで跳ねてみたり、

ハ長調でマイナーに入ってみたり、繰り返し記号で

同じとところを繰り返してみたり、

そんなものではないかと思います。


振り返った時に、散らばった音符を見て、

『コレが自分の人生か!』と『酷いもんだ!』

『でも他には無い、面白いものじゃないか!』

なんて思うんじゃないかなー。


つい先月、『自分が今やっている事が、

やりたいことや将来につながっているのかどうか

わからない。点と点がつながらない。』と、

悩んでいると、年下の人から相談されました。

当たり前じゃないか!!と思いました。

大して点の数も無いのに、今から線で結んで

どうするの!?と思いました。

変な形になって修正きかなくなっちゃうよ!

点と点がつながらないなら、線になっちゃうくらい

ダダッダッダダダッダッダダッダッダダッダッダダ・・・

て、点打っちゃえばいいじゃん!

それで解決だよ!

点の数が多いほど、後からどんな形にもなれる。

そう思ってみたら?


私なんて“ムダ撃ちのイッツ”って異名があるくらいさ。


ちなみに、皆さま、このゴッホの種まく人の絵の太陽、

夕日に見えますか?朝日に見えますか?