おはよーございます!!!
今日は祝日ですね!

レオナルド・ダ・ヴィンチの特集も今日で3日目、とうとう最終日となってしまいました~

今日は、レオナルド・ダ・ヴィンチの"画家”人生についてお話したいと思います。
レオナルドダヴィンチはご存知の通り、画家としてだけではなく、その他の多くの専門家としても名が知れています。

昨日の記事でも触れましたが、地学家、天文学者、彫刻家、建築家、音楽家、工学家、、、など知識の幅は無数にあります。

その中でも画家としての才能はすばらしく、秀でていたのだと言います。
ということで、今日はその画家としてのレオナルドダヴィンチに迫ってみたいと思います。

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完璧主義者だといわれたレオナルド。
自分が描いた作品が納得いかないときには破棄し、何度も何度も修正を繰り返していたそうです。
生涯で現存している作品は15点程しかないのはその為かもしれません。


たった15点程しか残されていないレオナルドの作品。
それなのにこんなにも有名でその才能が素晴らしいと言われているのは、やはり1つ1つの作品の素晴らしさや完成度の高さだと思います。

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レオナルドの画家としてのはじまりは、1466年、14歳のときの事。
ヴェロッキオの工房へ弟子入りし、修行が始まりました。
ヴォロッキオは当時フィレンツェでもっとも優れた工房のひとつと言われていました。

やはり一流のところには一流が集まるのか。
ヴェロッキオの工房にあつまる芸術家の才能はすばらしく、ヴェロッキオが出した作品のほとんどがそこに在籍する弟子によるものだったとも言われています。


キリストの洗礼 アート名画館 ダヴィンチ


「キリストの洗礼」という作品があります。
この作品はレオナルドとヴェロッキオの合作なのですが、レオナルドが受け持った箇所があまりにも優れていたため、師匠であるヴェロッキオはそれから二度と金輪際絵画を描かないと決めた!と言われるほど、レオナルドの画家としての才能はすごかったと言えます。



東方三博士の礼拝 アート名画館 ダヴィンチ


次に「東方三博士の礼拝」という作品はご存知でしょうか。
東方三博士の礼拝は、当時さまざまな画家によって描かれていたテーマで、ボッティチェリによっても描かれています。
レオナルドによって描かれた「東方三博士の礼拝」は未完成のまま終わった作品。
完璧主義なレオナルドダヴィンチが未完成のまま終わらせた作品なのです。

その理由は、制作途中でミラノ公国へと活動の場を移したからです。
当時、レオナルドは音楽家としての才能も秀でており、「リラ」という楽器を制作したのが話題になりました。
それを知ったメディチ氏(当時フィレンツェを支配していた支配者)が、レオナルドがつくったリラを土産にミラノ公国へむかわせたそうです。
そのリラを土産にしてフィレンツェとミラノの平和条約を結ぼうとしたのです。
そういう仕事が舞い込んだため、フィレンツェでの作品制作は中断しミラノへ向かったレオナルド。
結局その活動は1482年から1499年にまで及んだといいます。


最後の晩餐 アート名画館 ダヴィンチ

あの名画「最後の晩餐」もこのミラノでの活動時に描かれたものです。
その他にもミラノ時代には様々な作品を描き、絵画制作以外にも様々な仕事を引き受けました。
パレードの準備、ミラノ大聖堂の屋根の設計、騎馬像の制作など多岐にわたりました。
そういう事から見ても、レオナルドの才能がいかにすごかったのかが分かります。
何でも出来る何でも屋さんのようなレオナルド。
素晴らしい才能です。

ただ、その才能は努力によって作られた事もわかっています。
昨日も少しかきましたが、レオナルドが残した手稿を見てみると、
その研究探求の記録が鮮明に描かれており
さすが完璧主義と言われただけあって、細部まで探求しつくした記録がのこっていますが、なぜかいずれの研究分野も最後の結論には至っていません。
完成前には、他の分野へと気移りしてしまっているのでしょう。
そこもレオナルドの個性ですよね~

1499年、第二次イタリア戦争が勃発。その時レオナルドはヴェネチアへと非難したそうです。
そしてフランス軍からヴェネチアを守る軍事技術者として雇われていました。
1500年にはようやく故郷であるフィレンツェに帰還。
サンティッツシマ・アンヌンツィアータ修道の修道蔵のところに招かれました。

1508年にはフィレンツェの芸術家ギルド「聖ルカ組合」に再加入。
ここでの大作は、フィレンツェ政庁舎の大会議室の壁画「アンギアーリの戦い」で、その事業に2年間携わった。

そして、晩年にあたる1513年以降はヴァチカンで過ごしている時間が多かったようです。
よく並べて評されるミケランジェロ、ラファエロも当時はそこで過ごす時間が多かったようです。
今考えても、どれだけすごい3人組だよ!って感じですよね~

1516年にはフランソワ1世に招かれたレオナルド。
邸宅が与えられて、そこで死を迎えるまでの3年間を過ごしたそう。
もちろん絵画制作も続けていました。

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さてさて、ここからはレオナルド・ダ・ヴィンチの作品のご紹介!!
数少ない生涯作品を一挙ご紹介!
ただ、この中にも100パーセントレオナルドによって描かれたか確定していないものもありますが、ほぼ間違いないだろうと言われている作品たちです。



ーーーーー1470年代ーーーーー

受胎告知 アート名画館 ダヴィンチ

受胎告知
レオナルドの作品としては初期の作品。


ブノアの聖母 アート名画館 ダヴィンチ

「ブノアの聖母」
修行時代を終え、画家として独り立ちした後に初めて完成させて作品。


ジネーヴラ・デ・ベンチの肖像


ジネーヴラ・デ・ベンチの肖像
15世紀のフィレンツェ貴族ジネーヴラ・デ・ベンチを描いた肖像画だが、彼女の結婚記念で描いたという説もあるが確証はない。


ーーーーー1480年代ーーーーーー

岩窟の聖母 ダヴィンチ アート名画館

「岩窟の聖母」
祭壇画として依頼されたもので、ミラノの聖母無原罪の御宿り信心会からの依頼であった。



リッタの聖母 アート名画館 ダヴィンチ
「リッタの聖母」
19世紀にミラノ貴族のリッタ家が所有していたことからリッタの聖母と呼ばれているが、レオナルドの真筆か否かが定かではない作品。


音楽家の肖像 アート名画館 ダヴィンチ


音楽家の肖像

ーーーーー1490年代ーーーーーー

最後の晩餐 アート名画館 ダヴィンチ
最後の晩餐
ミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院の食堂にある壁画です。


白貂を抱く貴婦人 ダヴィンチ アート名画館

白貂を抱く貴婦人
この女性はミラノ公ルドヴィーコ・スフォルツァの愛妾チェチーリア・ガッレラーニという女性だと言われています。


ミラノの貴婦人の肖像 アート名画館 ダヴィンチ

「ミラノの貴婦人の肖像」
この作品に描かれている女性が具体的に誰なのかは不明とされています。


ーーーーーー1500年代ーーーーー

モナリザ アート名画館 ダヴィンチ

モナ・リザ


糸車の聖母 アート名画館

糸車の聖母」(糸巻きの聖母
晩年に描かれた聖母子像。糸を巻く棒を持ったイエス様を見つめるマリア様が描かれています。



聖アンナと聖母子 アート名画館 ダヴィンチ

「聖アンナと聖母子」
聖母マリアと幼子イエス様、そしてマリアの母聖アンナが描かれた作品。




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「特別展 レオナルド・ダ・ヴィンチ 天才の挑戦」
公式サイト:http://www.davinci2016.jp
会期:2016年1月16日から4月10日まで
場所:東京都江戸東京博物館
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