ギヨマン


1841年- 1927年 印象派


ジャン=バティスト・アルマン・ギヨマン (Jean-Baptiste Armand Guillaumin)



<年表>


1856年頃 叔父経営の服飾店に勤める傍ら、夜間の写生学校に通う


1860年 フランス政府鉄道であるオルレアン鉄道に就職


1861年 仕事の合間にアカデミー・シュイスで絵画を学び始め、仕事のない夜間に絵画制作をする。

この時ピサロ、セザンヌ等と出会う。


1863年 落選展に出品し、ゴッホの弟テオがその絵を数点購入した


1866年 オルレアン鉄道を退職。ピサロと共に野外制作に取り組むもなかなか上手くいかない。


再びパリ市の土木課に就職、橋や道路を管轄する管理職に就く。夜間のみこの仕事に従事し、その他は絵画制作に取り組む。


1874年 第一回印象派展に参加(以後6回参加)


1891年 50歳の頃、宝くじに高額当選。生活にゆとりが持てるようになったため仕事を辞め、絵画制作に専念するようになる。


1890年~ クローザンに移住


1892年頃~ 故郷に近い、クルーズ渓谷にある小さな村であるフランス中部リムーザンのクルーズ県ポンシャローに度々訪れ、風景画を制作する。


1920年~ 制作意欲が衰える


1927年 生まれ故郷であるパリの真南にあるヴァル=ド=マルヌ県オルリーで死去、86歳。



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印象派を代表する画家、本名ジャン=バティスト・アルマン・ギヨマン。1841年フランスのパリに生まれる。


15歳のとき、叔父経営の服飾店に勤める傍ら、夜間の写生学校に通っていた。


1860年にフランス政府鉄道であるオルレアン鉄道に就職する。


1861年頃から余暇にアカデミー・シュイスで絵画を学び始め、仕事がない夜間に絵画制作をするようになる。


この頃ピサロ、セザンヌ等と出会い、それ以降もずっと交友が続く。


1863年には落選者展に絵画を出し、このとき出展した作品をゴッホの弟テオが購入している。


1866年にはフランス政府鉄道であるオルレアン鉄道を退職し、以降ピサロと共に野外にて絵画制作をする。


しかし、それも順調にはいかず再びパリ市の土木課に就職した。


ここでの仕事は夜間のみの勤務であったので、日中は絵画制作に携わった。


彼は印象派の中でも長く生きたことで知られており、1874年の第一回印象派展に参加して以降、6回も参加した。


その後、独立派展、アンデパンダン展などに出展しながら細々と絵画制作をする。


そんなギヨマンに転機が訪れる。1891年、宝くじに当選。大金を手に入れ生活にゆとりが出来たギヨマンは仕事を辞め、ようやく絵画制作に専念するようになった。


1890年代以降はクローザンに移住してからは、制作作品も減り、1927年、生まれ故郷であるパリで死去。享年86歳。


彼の作品の特徴と言えば、色鮮やかな色彩である。風景画を多く描き、その他には裸婦像や静物画も制作している。


彼の作品の多くは、パリの産業の発展や近代化そしてそこにいる労働者や、田園風景を主題にしている。


初期のころは印象派このころ、ゴーギャンやゴッホなど後期印象派の画家たちと交友を深める。


のちに、野獣派の先駆者となり大胆で色彩豊かな作品を多く描く画家となっていく。



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<代表作品>


イヴリーの落陽(Sunset at Ivry )


雪の中の小道(A Path in the Snow)

静物 ~花、陶器、書物~(Still Life with Flowers and Books)


パリ郊外(Outskirts of Paris )


ベルシー河岸~雪の印象~


アルクイユの水道橋


パリに流れるセーヌ川


裸婦(Reclining Nude)


釣り人たち(The Fishermen)



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