日経新聞「私の履歴書」先月は、名誉名人囲碁棋士の趙治勲氏でした。

囲碁という馴染みのない分野ではあったけど、最後まで完読。

結構だめだめ人間的描写も多かったけど、人間臭くて憎めないなぁ、

という感じで読んでいました。

 

そのなかで、市ヶ谷の日本棋院会館が参照されていて、ひとつ思い出しました。

 

JR市ヶ谷駅には囲碁に関連した意匠が2つあったことを。

(ブログその1その2

まずはJR各駅を一語で表すEKI STAMP。

市ヶ谷駅バージョンは、靖国神社の屋根と碁盤があしらわれていました。

 

 

さらに改札内には碁盤モザイクアート。

 

「私の履歴書」を読んで、そうだった、市ヶ谷には日本棋院会館なるものが

あるのだった、と思い出したわけです。

 

 

碁盤アートのそばには、ちゃんとこれが市ヶ谷駅に作られた意味が書かれていました。

 

 

ということで先月、趙治勲さんの連載をよりよく理解するために、

行ってきました、こちらへ。

 

 

 

充実の展示室は興味深く、思いがけず長居をしたほど。

碁譜の冊子などは見てもわからないけど、名人使用の碁盤の展示とか。

歴史上の人物の囲碁との関わりなどが詳しく説明されていました。

 

 

 

国宝 源氏物語絵巻 竹河(二)のコピーに付随した説明にはこんな文章が:

 

今から1000年前、平安王朝の女性たちが囲碁を楽しんでいたことは、紫式部の「源氏物語」や清少納言の「枕草子」に散見されます。「源氏物語」には、桜の老木を賭けた姉妹の対局描写があり、「枕草子」には、皆が寝静まってから聞こえる碁笥に入れる碁石の音が心床しいと記されています。2人の才媛による囲碁の記述から、いずれも有段の棋力があったと想像されます。

 

 

ある一面には、囲碁の発展に力を貸した人々の銅板がズラリ。

 

徳川家康の説明は:

家康が碁を覚えた中年以降、諸大名、武将、豪商、公家らと頻繁に囲碁による交流を交わす。特に浅野長政、伊達政宗、細川幽斎らは家康の好敵手であった。
碁会を多数催すなど碁打衆を保護し、また、本因坊算砂を見出す。後の御城碁・家元制度の基盤を築いた。

 

 

 

伝・秀吉・家康対極碁盤なるものの写真もありました。(右)

碁笥はもちろん家紋付き!

 

 

 

古事記にも「碁」という文字は登場しているそう。

とはいえ、意味に対応して使われたわけでなく、例によって、音読の便宜用。

ただし、この時点で囲碁はすでに伝わっていたと。


 

 

鳥獣戯画にも描かれていたのだっけ。意味不明なポーズをとる右側のウサギが憎めない。

 

 

 

エンデバー号船内でも若田光一さんが碁盤を持ち込み仲間とたしなんだ模様。

 

 

 

 

ホテルオークラや大倉集古館、オリジナル尺八・オークラウロでおなじみの大倉男爵は、

囲碁の発展にも貢献したらしい。

左上は正倉院の棋具の写真。そのほか希少な碁盤、名人の碁盤なども棚にぎっしりと。

 

 

 

そしてこれ。↓

「私の履歴書」で読みながらハラハラした交通事故直後の対決。

 

前身骨折というダメージを受けながらも歯を食いしばって車いすで登場。

ただ、対戦相手の小林光一さんは、椅子では調子が出ず分が悪い、ということで、

第三局前には畳を持ち込んで自分は正座でやらせてほしいと要望。

この正直さに、趙さんは脱帽。

事故の悲劇に見舞われた趙さんへの同情が集まりやすい中、正々堂々

言いたいことは言う、ヒール役になりかねないリスクよりも、堂々勝負を前面に出し、

敵ながらあっぱれ、と趙さんは相手に心の中で拍手を送っていたようです。

この写真は第一局か二局の写真なのでしょう。

 

 

連載中、何度も耳にした「木谷塾」の面々。↓

 

自分は門外漢だと思いつつも1か月読み進めたおかげで、囲碁に親しみがわきました。

木谷實、という文字を見て思わず反応するあたり。

日本棋院会館まで行っちゃったし。(市ヶ谷で時間つぶしの必要があったらお勧め!)

 

 

他にも囲碁シーンが出てくる武者絵とか浮世絵などのコピーも。

頼朝の御前碁会:

 

 

碁盤を持ち上げております。

 

最後に、日本棋院会館の設立経緯を、展示物から以下の通り転記:

幕府の崩壊により碁界は困窮しますが、明治12年、村瀬秀甫らが方円社を創設し、盛況を取り戻します。対立する本因坊家の秀栄は、明治28年、四象会を結成。大賞11年には貼り雁金準一らが神聖会を興し、碁界は混迷を深めます。翌年、関東大震災が発生、碁界の立て直しを願う棋士とファンが一丸となり、大正13年7月、日本棋院が創立します。

 

ちなみに、今月の「私の履歴書」は3回目ぐらいで離脱です。

ノーベル賞受賞者らしいですが。

第一回目で、乗った車がバスにぶつかり負傷したことが書かれています。

今はリハビリ中と。

でも、お詫びの言葉が一言あってもいいのでは?

高齢ドライバーとバスという組み合わせだと、自責による事故ではないのかなぁ。

全体の自信満々の書きっぷりをみる限り、もし自分に非がなければ一言添えそうなのに。

その次の回かその次では、自分はルックスがいいので先生がえこひいきして

学芸会で主役に抜擢された、というくだりが出てきました。以来読んでいません。