世田谷美術館でユニークな展覧会が開催中です。
「美術家たちの沿線物語 小田急線篇」と題して、
世田谷区を横断する小田急線ゆかりの美術家たちを取り上げる展覧会。
転勤族の家庭で育ったものの、大学含め、学校時代の核となった時代は
すっぽり世田谷区で過ごした私。
特に小田急線は世田谷代田駅で乗車して通学に使っていたため、
本展はもう懐かしさいっぱい。私的に必須の展覧会でした。
本日行われた池辺晋一郎さんのレクチャーで披露されたのは、
華麗な小田急線沿線交流史でした。
(日経「私の履歴書」池辺さんの回は毎日欠かさず読んでたなぁ。)
例えば神楽坂あたりは明治時代の作家たちがお茶屋さん通いに便利だからと
多く集っていたりしたけれど、作曲家はみな小田急線沿線に集ったのかしら?
と思える程、お歴々がこの沿線に大集合していたようです。
本日のレクチャー:
池辺晋一郎(作曲家、せたがや文化財団音楽事業部音楽監督)
「美術家たちの沿線物語 小田急線篇」展関連レクチャー「世田谷の作曲家たち」
池辺さんの祖父は、もともと東急電鉄社長・五島慶太氏の下で副社長を務めた人物。
その後、私鉄としては膨らみ過ぎたということなのでしょう、四分割され、
(東急、京王、小田急、京急)、おじいさまは小田急を任されます。
沿線シリーズ・小田急線篇を語るにはこれ以上の適任はいないでしょう。
(とはいえ池辺さん自身は、祖父がそういう仕事をしていたのは知らず。
仕事で五島記念文化財団に関与した際、教えてもらい、初めて知ったそう。)
池辺さんご本人は主に北沢近辺の住人で、
沿線の音楽家交流は、黛敏郎さん(上原)、芥川也寸志さん(失念)、武満徹さん(下北、のちに目黒、東村山などへ)、林光さん(上原→下北沢)、一柳慧さん(失念)、松村禎三さん(狛江)、伊福部昭さん(ちょっと沿線からそれて奥沢)、などなど。
こうした出会いと沿線がらみの交流を語りつつ、それぞれの方々の写真を写し出しながら、
各人が作曲した曲が話の途中で挿入される、という洒落た趣向でした。
例えば武部さんのことを語る途中で流れたのは、
池辺さんいわく”デリケートで吸い出すような音楽の”「夢窓」。
ゴジラで知られる伊福部さんのときは、繰り返しのリズムが急き立てるように響く
「リトミカ・オスティナータ」をあえて選曲していました。
とにかく池辺さんは天才的!、と思えたのが、タイムキープ術。
原稿もなく、時計も見ず、立て板に水で弁舌爽やかに語り、音楽を挿入し、
最後の曲は、ご自身の作曲した作品、卒業制作時の”交響曲第一番”でした。
再演するのは57年ぶり。
当時のスコアは夢中になって綿密に書いていたそうで、その細かさには
自分でもびっくりしたとおっしゃっていました。
そしてこの曲が終わってレクチャーも終了。
もうこんな濃い話のオンパレードでずいぶん時間がたっただろう、
当初予定の1時間半をオーバーし、終了時には2時間経ったころかなと時計を見たら
最後の曲が終わり、氏が締めくくりのあいさつを終えたタイミングで、ジャスト1時間半!
これってまるで東急ジルベスターコンサート!?
脳内にメトロノームが埋め込まれているのかしら?
やっぱり天才だわ。
様々なエピソードが披露されたものの、
長くなったので、最後にひとつだけ以下に:
池辺さんが出会った当時、伊福部さんは芸大学長さんを務めていました。
ウィスキーのアルミ製容器を腰に下げ、くいっと時折飲んでいたそう。
先日日経新聞に書かれていた吉田健一氏も、ビアホールでビールをあおってから
中大の授業に向かったということでした。
いまならSNS警察にこてんぱんにやられることでしょう。
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内井昭蔵氏設計のセタビ、こと世田谷美術館。
高岡市美術館と似たような雰囲気を一部に感じることができます。