昨日のブログで述べた通り、中尊寺金色堂の3つの檀の下には、それぞれ

藤原清衡、基衡、秀衡らの遺体が安置されています。

(その後、四代・泰衡の首級が父・秀衡の遺体とともに安置された。)

問題はその遺体の状態。

4つの遺体すべてがミイラであることが科学調査で判明しています。

 

人工ミイラなのか、自然ミイラか、結論は出ていません。

NHKの番組では、防腐剤が入れられていない点を指摘。

視聴者としてはそれゆえ自然ミイラ、と結論付けそうになりますが、

それを指摘した学者さんも、断定はしていませんでした。

 

確かに遺体の処理から鑑みて結論を導き出すのもひとつですが、

一方で、「保存」の意思・意図の有無が感じられればそれは人工ミイラ

とみなすことも可能です。

 

本展に関った岩手大の菅野成寛先生はここで面白い指摘をされています。

中国では漆布を加えてミイラ化した例があり、

それを日本人僧が目撃。日本に伝わっていた記録があるそうです。

 

その後国内では、死後の劣化進行が抑えられた遺体に関し、

往生が決定した、とみなす思考が一部であったようです。

こうした往生思想と結びついて遺体の存続を肯定的にとらえる傾向があった、、

こう考えると、金色堂のミイラは意図的だった可能性も浮上します。

 

中国でおこった人工ミイラの習慣と日本への影響に関し、

今後のさらなる研究成果を期待したいものです。

 

 

さて、数年前にBunkamuraで開催されたライデン国立古代博物館所蔵 古代エジプト展

では、古代エジプトの棺の進化がつぶさに見られて興味深かったのを思い出します。

 

一方で、大英博物館では、ミイラ+棺がいかに進化したかが

一目でわかります。

 

以下、2012年ロンドン五輪旅行での写真:

 

これはBC3300年のミイラ。
保存処置が施されています。

ただ、まだ棺の観念はありません。

一方で、生活用品と一緒に死体が置かれる風習が見られます。

 

 

 

BC3000年ごろから、棺を作る風習が生まれます。
生活用品と一緒に死体をセットにして置く風習が、「死体をしまう」概念へ。

棺が生まれます。

といっても初期の棺は木造りの簡素なものでした。

 

 

その後装飾をほどこした立派な棺が流行に。

中には全身布で巻かれたミイラが入っていました。

 

 

なかなか生々しい・・

 

 

豪華装飾の棺のかわりに、遺体をぐるぐる巻きにして

生前の顔をイラストにしたものもありました。

 

 

 

棺はどんどん豪華になっていきます。

棺に入れられる品にも変化が。装飾品だけでなく
死後の世界を考えた品々(食料とか)を入れるようになります。
棺はどんどん進化し、どんどん派手に。

 

 

故人の顔が描かれている棺↓

ポンペイの壁画にこんな顔の男が描かれていたような。

 

Bunkamuraでの展示では、あるピークを境に華美化は

打ち止めになっていました。

 

 

 

↓この1枚のみルーブル美術館のミイラ。

ミイラ、古代エジプトの棺などは、大英帝国の独り勝ち。

ルーヴルもとてもとても及びません。