東京国立博物館恒例「博物館に初もうで」企画。

以前は干支にちなむ作品が、アイテムごとの常設展示室にちりばめられていたけれど、

近頃は、一室に集められているので探す手間がなくなりました。

 

龍にちなんだ作品を見たあと、なぜかその日は陶芸コーナーに足が向きました。

京焼(古清水)の色合いはやっぱり好きだなーとか、

乾山の、和歌が詠まれた縦長長方形のお皿は、短冊を模しているのかぁ、

と感心したり。

 

大体いつもは江戸時代あたりの華やかな陶器を見て終わり。

でもたまには、ちょっと古いものも見てみるか、とほぼ茶色一色のコーナーへ。

ほどなく「あっ」と声を上げそうになりました。

 

「珠洲焼」の文字を見て。

石川県の珠洲で作られた平安時代の壷でした。

 

 

 

 

平安時代後期から室町後期まで、珠洲は日本を代表する焼き物の産地だった、、

まったく知りませんでした。

海上交通を利用して珠洲の焼き物が日本各地に流通。

能登半島の突端、海にぐるりと囲まれた地の利を最大限に生かした商取引が

行われていたのでしょう。

15世紀後半、焼き物産業は消滅してしまったものの、最盛期には約40基もの

古窯が存在していたようです。

 

それにしてもこの壺、これまでも長らく展示されていたでしょうが、目にとめることも

ありませんでした。

 

 

 

 

表面を細い筋が斜めに走ります。

竹串で付けたものなのか、畳のような横に目のあるものを押し付けたものなのか?

壺の方のところには模様が見られます。

巴文大壺、の名の通り巴紋だわ。

 

 

 

なかなか立派な首です。

口のところのギザギザは、割れたあと摩耗したものなのかなぁ。

 

 

スケール感を見るために隣の壷も入れて映してみます。

 

結構大きなものを作る技術があったのですねぇ、平安時代の珠洲市。

高台はないようで、裾がきゅっとつぼまっています。

安定感が不安だけど、特にピアノ線などで転倒防止をしているようには見えません。

 

 

 

最後に向かったのは、国宝・長谷川等伯の松林図屏風。

お正月の展示品として定着しました。

本来なら短期のみの展示予定でしたが、等伯が能登半島七尾生まれということで、

会期延長が決定。

と同時に、義援金の募金活動が始まりました。

 

募金目的で国宝室に入ったものの、募金箱はなし。

本館入り口のところに設置ということでした。

(入場したときは大混雑で、箱が見えなかったー)。

確かに国宝室でお金集めというのは作品鑑賞の妨げになるし。

見終えたあと、非力ながら応援の気持ちを入れてきました。


さてこの松林図屏風。

ぼーっとかすむ湿潤な風景、ぼんやり眺めるのが常ですがー

 

 

 

よく見ると、根っこがこんな感じ。

この部分だけ見たら、国宝のイメージがないかも。

 

 

 

左隻の右奥には、何気なく雪山が描かれています。

 

 

 

なにか発見はないかな、と落款に目を向けます。

長谷川、と等伯の落款が別々。

長谷川の川の字が「耳たぶ」x3みたい。

 

 

 

奥に配された薄墨の木々がブレのように目に映り、

静かだけど動きを感じます。

 

 

 

思いがけず石川県というキーワードを軸とした博物館めぐりになりました。