永井紗耶子さんの『木挽町のあだ討ち』を手に取って開く前に、これって実話?

と不覚にも思ってしまった。

少なくとも江戸の三大仇討には入っていないよなぁ、

三大仇討といえば、浄瑠璃坂の仇討、赤穂浪士の討ち入り、鍵屋の辻の決闘だもんなぁ。。。

 

もっとも三大仇討のことを知ったのはこれのおかげ↓

再掲になるけど、浄瑠璃坂の仇討跡の標識。

寛文12年(1672)2月3日、浄瑠璃坂の仇討が実際に行なわれた場所に立つ。

赤穂浪士の討ち入りより30年ほど前。

赤穂浪士も参考にしたらしい。

 

 

 

浄瑠璃坂およびその標識↓は、仇討現場からやや離れたところにある。

上の標識がある現場は、鼠坂そばの元DNP社員寮敷地(今は更地)あたり。

 

 

浄瑠璃坂の説明:

 

 

ということで、完全なフィクションとして『木挽町のあだ討ち』読書開始:

うーん、読みやすい。

声を出して調子をつけて読めそうな軽みのある文体。

在りし日の芝居小屋の雰囲気に寄り添うかのよう。

 

高麗屋とか、近頃話題の(!)澤瀉屋とかの名前も登場して、

タイムスリップを楽しんだ。

いわゆる”悪所”へ流れ着いた裏方の人々の人生を織り込みながら、

本筋のあだ討ちの全貌が徐々に見えてくる。

そのズームインとズームアウトが交互に織りなす物語。

 

途中ふと気が付いた。

文中「仇討」の綴りなのにタイトルは「あだ討ち」。

なぜだろう?

もしかして書店に並べる際の目につきやすさを考えてのこと?

選挙ポスターにやたらひらがな氏名が多いみたいに。

でもそうではなく、別の意味があった。

私、なかなかいい着眼点だったようだが、推理が今一歩足りなかった。

 

最後、なるほどそういう展開だったか、と安心した途端、

違う景色が待っていた。

舌を巻く構想力。

ミステリー小説と呼んでもいいかもしれない。

「吉原手引草」との類似性も指摘されているので、そちらも読んでみよう。

 

***

 

直木賞つながりで「極楽征夷大将軍」も読んだ。

終盤以外は足利尊氏の一貫した極楽大将ぶりにブレがなく

作者の解釈、つまり尊氏=お気楽一辺倒説に肩入れしたくなる。

楠木正成も微妙な心の襞を見せ、好感度アップ。

 

(2019年4月撮影 二重橋そばにある楠木正成像 住友家開山200年記念 東京美術学校制作)

 

引き込まれてずんずん読んだ、素晴らしい労作。

ただ、この時代/人物を扱ったパイオニアではないから、

「太平記」や歴史資料などで大枠の外濠を埋めることは想像するほど困難ではなかったかも。

それより人物像をクリアにして流れに乗せてまとめあげることのほうに

心血をつぎ込んだのでは、と想像する。

 

それにしてもこの時代、休む暇もなくあちこちで戦が勃発。

しかもあっちについたり、寝返ったり。

こんな不安な戦乱の世で尊氏享年50代前半というのは立派な長寿だわ。

 

***

 

ちなみに昨年の芥川賞受賞作『おいしいごはんが食べられますように』は

(今年の受賞作ではないこともあり、ズケズケ書きますが)

”いとすさまじ”だった。

この場合、現代語の意味でなく、古語の方。

「すさまじきもの。
昼ほゆる犬、春の網代。」

でいうところのすさまじきもの。

 

心情をうまく掬い取れていると言われても設定が私には無理。

「そういう人いるよね」

「そういうことってあるよね」

いやいやごめん、あり得ない。

芦川さんが凝ったお菓子をせっせと毎日作って持ってきた時点で、

社会生活そんなメルヘンではない、と拒否反応。

お菓子で仕事の肩代わり?

貨幣制度導入前の物々交換の時代ならいざ知らず。

或いは、学園生活描写ならいざ知らず。

 

実際、職場のにおいが希薄。

芦川さんに反発する人物を置くことでリアル感を担保しているのだろうけど、

のほほんとした職場に場違いな人がいるだけの小説だった。

 

 

 

 

 

 

***

 

よくここは通るのにこれまで気づかなかった、、という事象。

以前三田を歩いているときに再び発生した。

 

オーストラリア大使館の建物に、カンガルーと国鳥エミューがくっついていた。

いつも大使館側の道を歩くので、近すぎて気づかなかった。

前回たまたま逆側を歩いて引いた視点で見たため知った。

 

 

カンガルーとエミュー、こんな高い所に!

 

 

 

ちなみに最寄りの麻布十番駅にはオーストラリア大使館寄贈のパブリックアートもあった。

「パラレル・ヴィジョン」ジョン・ヤング作

両国の歴史・地理・伝統のイメージを重ね合わせることで友好の印とした、という説明。

(”棒読み”ですみません。ちょっとよくわからなので!?)