都内9庭園のなかで、一番梅林が充実しているのはやはりここ、
小石川後楽園。
あくまで都立庭園内での比較なので、府中郷土の森、羽根木公園、吉野梅郷など
に比べたらちっちゃい一区画に過ぎないけれど、円月橋、屏風岩、さまざまな見立てなど
コンパクトにあれこれ併せて見られるのが特徴でしょうかね。
こちらはもともと水戸徳川家の江戸上屋敷だったというのは知られるところ。
水戸藩初代藩主が庭園を築き、2代藩主の光圀が完成させた、ということで
水戸の偕楽園とのつながりが想像できます。
その痕跡は園内でもいくつか見ることができます。
(メジロの姿も)
(かなり高いところにいたので、特徴的な目元のあたりははっきり写っていませんが。)
上述の「痕跡」のひとつがこちら。
なるほど!
水戸偕楽園より初代藩主が作ったこちらの庭園のほうが先にできたわけなので、
この地で育てた梅を後年偕楽園に持っていき、それが里帰りしたということでしょう:
水戸偕楽園里帰りの梅。
以前より心なしか弱っているような気がしました。
まだ花をつける前ということを考慮してもなお、
往復の旅を経験した老木の風情をかもしています。
小石川後楽園の作庭開始は1629年(寛永6年)とのこと
一方偕楽園のHPを見ると:
1833年(天保4年) 4~5月 徳川斉昭、領内巡視の際、七面山の高台に遊園を設けることを決定。
1834年(天保5年) この頃、斉昭、江戸から多種類の梅実を水戸へ送り、植物係に命じて育成させる。
とあり、江戸から運んだ多種類の梅、というのはこちら小石川後楽園で育てられたものが
含まれているのでしょう。
さらにこちらの梅の名前はーー
そのものずばり「光圀」!
低木ですが。
この日は小石川後楽園に来るつもりはなく、牛天神をめざしていたら、
この脇を通りかかり、せっかくなら、、と入ったという状況。
ちょうどイベントが終わったばかりのタイミングになってしまい
どっと梅林に繰り出す人々のただなかに放り込まれてしまいました。
ただ、しばらくすると人は徐々に引いていったけれど。
事前にイベントの時間を調べて、開催中に空いた梅林をじっくり見るとか
あるいはイベントの演奏を聴くとか、どちらかできればベストでした。
無計画だからどちらもかなわなかった、、としょげるか、
即興で来たわりに盛りの梅を見ることができた!
と喜ぶべきか。
”幸せは、自分の心が決める”、、ですね、相田みつをさん!
文化財指定を受けてから今年でちょうど100年。
記念行事が開催されています。
いつもならこういう行事をひとつぐらい覗いてみたいと出かけていくものの
今年は繁忙期と重なったので残念ながらそれは断念。
まだ最後の行事が残っているようですが、梅のいい時期に行けたのでこれで満足ってことで。