すでに何度か書いたとおり、神楽坂の毘沙門天は、日仏に足を踏み入れた当初からなじんだ場所。
向かいに鶏刺しで有名な鳥茶屋があったこともあり。
でも、今の今まで気づかなかった、なんて私の目は節穴なの?
門の寄進をしたのがロッキード事件で知られる児玉誉士夫だったとは。
事件発覚は今調べたら、昭和51年。
門にはその5年前の日付が入っていて、将来あんなことにはなるとまだ夢にも思っていなかった
時代の遺物かな。
そして皮肉にも、あるいは必然で?田中角栄が入れあげたお妾さん辻和子さんが
住んでいた場所は目と鼻の先。
確かいつか見た神楽坂マップには、「辻和子さん旧居の場所」とかいうマークが
ご親切にも載っていた記憶。
さらに都市伝説によると、神楽坂が朝と夜で逆方向の一方通行なのも、
田中角栄が永田町に通いやすくするための措置だとか、そうでないとか。
この界隈で、あるいは辻家で、かつて日本を揺るがす事件の密談が行われていたりして?