350年の歴史を持つパリ・オペラ座。

初期の時代はろうそくの火で上映したため火災も多く、建て替え回数は10回以上。

外側の「箱」たる建物・内なる装飾の変遷だけでも物語があり、さらにそこで生み出された多彩な演目、関わった人々などを紐解けば、それはもう絢爛豪華な絵巻物。

 

アーティゾン美術館で開催中の「パリ・オペラ座展 響きあう芸術の殿堂」は、

そんなフランスの芸術を幅広く網羅する殿堂に切り込み、

人々をどんどん奥深い美の森にいざなおうとする野心的な企画。

まさに様々な芸術が響きあう壮大な絵巻物のような展覧会でした。

(先に予習編を書いた後、やっと行ってきました。)

 

 

特に19世紀の出展品についてはプルーストの世界と重なる部分が多く、

彼がどっぷりとつかっていた社交界の空気感がそのまま作品に閉じ込められているのだ

と改めて感じた次第。

 

例えば、本展のメインビジュアル、「パリ・オペラ座の落成式」を描いた

ジャン = バティスト =エドゥアール・ドゥタイユの名は、

「失われた時を求めて」に何か所か出てきます。

 

 

 

先にその部分を読んだ時には、戦争画の画家といった印象だったので、

本作の作者と気づくまでに時間がかかったほど。

 

 

プルーストの自筆原稿の読みづらさは知っていましたが、

(手稿がすべて仏国立図書館サイトにアップされ、研究材料として活用されている)

今回の出展原稿は、まだそのなかではきれいなほうかもしれません。

削除・挿入だらけのものも多々あるので。

 

前半のla princesse de Parme /  les loges, les balcons et les baignoires

の部分はなんとか判読。

オペラ座のシーンである、という先入観をめいっぱい駆使したおかげで。

 

大文字のPはDに近くて、それがプルーストの癖のようです。

 

逆に隣にあったガストン・ルルーの「オペラ座の怪人」の原稿は読みやすく、

有名な冒頭:

Le fantôme de l’Opéra a existé.

はすんなり読めます。

 

そばにあったゴンクール兄弟の日記はきれいな文字だけど蟻のような小ささ。

この日に限って単眼鏡持参でなかったので読むのは放棄したけれど。

 

 

ちなみに展覧会には「管理簿 1858年」なるものも出展。

ナポレオン三世暗殺未遂のくだりが書かれていているページが出ています。

火災だけでなくオペラ座前で暗殺未遂など物騒なことが起こり、

そうした不吉さがオペラ座のイメージにまとわりついていたのかもしれません。

その事件の10年後に生まれたルルーの時代にもそんなイメージがまだあったとすると

オペラ座の怪人の創作にも納得がいきます。
 

 

さらにモーツァルトの自譜には書き込みがあり、書かれていたのはなんとフランス語。

どういう楽譜なのか改めて見てみたら、

「バレエの間奏曲のためのスケッチ/パントマイムのための フランス語の指示付き」とのこと。

速記のように書かれた音符よりも文字のほうがやや丁寧な印象。

頭の中で次々湧き上がる音を移し替える作業が、いかに速攻で行われたのかがわかります。

 

 


 

文字に関する感想はこのへんで。

別途絵画についても少し触れてみたいと思います。