甲子園大会、つまり全国高校野球選手権大会で東北勢として初優勝を果たした仙台育英高校。
強豪校なので、優勝したことがあるかのようなイメージでしたが、
これまで東北に優勝旗がもたらされたことはなかったのだから、
いつも惜しいところで優勝には至らなかったのですね。
まさに悲願。
おめでとうございます!
ちょうど先日来触れてきた会津の話題のなかで、
鶴ヶ城を眺める白虎隊士の像の写真を入れました。
実はその像のお隣に、仙台育英学園の創立者の方のお墓があったのです。
このNo.8のおすすめの見所という立て看板のすぐそばです。
お墓の存在によく気が付いたなぁ、というわけでなく、白虎隊士の像に負けず劣らず
存在感を放っていたもので、気づかない方が難しそうです。
仙台育英学園(高校)の創立者のお墓が会津にあるということは、
会津が御出身地?
だとすると、なぜ故郷でなく仙台に学園を創立したの?
などと疑問が沸きました。
そのまま調べることもなくやり過ごしていたけれど、
このたびの優勝に際し、仙台育英学園高校HPを見てみたら、なるほど納得。
加藤氏は、1882年、戊辰戦争の傷跡がまだ癒えない会津で誕生。
その後第二次世界大戦に召集。
中国で頭に弾丸を浴び、現地野戦病院経由、仙台にある陸軍病院へ移送。
治療の甲斐あって奇跡的に生還し、そのままその地に住みつき、
教育者としての道を歩んだ、、、といった経緯だとわかりました。
仙台育英の須江航監督インタビューを昨日たまたまTVで見ました。
すばらしい内容。
多くの球児たちが、勝ち負けを越えた価値を感じたことでしょう。
全文出ていたので掲載:
「(高校の)入学どころか、おそらく中学校の卒業式もちゃんとできなくて、高校生活はなんというか、僕たち大人が過ごしてきた高校生活と全く違うんですが、青春ってやっぱり密なので、(行事など)そういうことは全部ダメだダメだと言われて、活動していてもどこかでストップがかかって。どこかで止まってしまうような苦しいなかで、本当に諦めないでやってくれた。でもそれをさせてくれたのは僕たちだけじゃなくて、やっぱり全国の高校生のみんなが、本当によくやってくれた。例えば今日の下関国際さんもそうですが、大阪桐蔭さんとか、そういう目標になるチームがあったから、どんな時でも諦めないで、暗い中でも走っていけた。本当にすべての高校生の努力の賜物で、ただただ僕たちが最後にここに立ったというだけなので、ぜひ全国の高校生に拍手してもらえたらなと思います」
加藤先生も、誇らしげな表情を浮かべているかのようです。
下は、鶴ヶ城を仰ぎ眺める白虎隊士の像の写真。
その左手に新しい灰色の石材が見えます。
そこが加藤先生の墓所です。
白虎隊士の視線の先には鶴ヶ城。
加藤先生のレリーフも、似たような方向を眺めておられるので
やはり鶴ヶ城へと視線を向けているのでしょう。
目の前に広がる景色。
その先にはこれがそびえています。
小ぶりだけど5階分ほどがシンメトリーになっていて、均整の取れた鶴ヶ城。
すっきりした佇まいです。
私が白虎隊士像のある飯盛山に行ったとき、
白虎隊記念館は閉館中でした。
外の看板を見たところ、一流画家・漆芸家の作品が収められているようです。
橋本関雪、川端龍子!、堅山南風、六角紫水など。
さらに、先日ブログに書いた鶴田吾郎の名前もありました♪。
中村彝記念館の話の中で触れた画家。
中村と一緒に盲目のロシア人エロシェンコの肖像画を描いたあの画家です。
今後会津に行かれる方がいたら、飯盛山のところでちょっとひるむかもしれません。
いきなりこんな階段が続いているので。
でも、「飯盛山 動く坂道」なるエスカレーター(有料)もあり、
さらに、さざえ堂に行く場合は、最初の階段のみ上って左に抜ければさざえ堂に
たどり着きます。
この階段すべて上る必要はないし、全部上ってしまったら、さざえ堂に行くには
その後坂道を下らないといけません。
これだけ上って、左に曲がるとさざえ堂に続く道につながっています。