日仏学院(アンスティチュフランセ東京)に通い始めた頃、

授業後にクラスメートとともにランチによく行ったものです。

 

土曜午前の授業だったので、サラリーマンの姿は最低限ということもあり、

列を作って並んで入店、などということは皆無の時代。

 

長年通っていた先輩格の生徒さんに連れて行ってもらった店は

どれも界隈では知られた店ばかり。

 

たとえば鳥茶屋、紀の善、五十番など。

そのうち五十番はむろん当時から肉まんが有名ではあったものの

普通の中華料理店として営業していました。

今では様々な種類の肉まん・あんまんに特化した感がありますが。

 

そしてつい2年前、毘沙門天の前にあった鳥茶屋が突然の閉店。

 

初めて鳥刺しを食べたのがこちらのお店でした。

やはり日仏の帰りに。

ふらっと行って普通に座れたあの時代。

その後混雑激化とともに足が遠のいていて、閉店前に行くこともかなわず。

 

 

 

ただし細い坂道の途中にある別亭のほうは営業中。

 

 

 

別亭のほうも店の前には列ができているのが常ですが、

2か月ほど前に通りかかったとき、ふらっと行ってみました。

 

開店と同時に入ったのでカウンターに座れましたが

予約が多かったので、少し遅かったらアウトだったかな。

 

 

 

ひとつ驚いたのが座席の割り当て。

予約をしても、2人グループだとカウンターになってしまう模様。

 

「予約です」と言って入店した女子2人が、次々にカウンターに案内されていたので。

ランチどき、その日の予約状況にもよるのでしょうが、

3人以上でないとテーブル席には着席できない可能性があります。

 

カウンターの2人組のうち、一組は鶏すきを注文。

鳥すきの大きな鍋がカウンターにでーんとのって、それを2人でつまんでいたけれど

カウンターは奥行きがないので食べづらそうでした。

 

お鍋はやっぱりテーブルで食べたいなぁ。

 

 

 

私が頼んだのはまずはスタンダードな親子丼。

後日再訪して鳥すきを注文、という構想を(入店前の時点で)練っていた私ですが、

カウンターの鳥すき風景を見て、その案は却下となりました。

 

 

 

やはり親子丼で有名な人形町の「玉ひで」の塩気の強い親子丼よりは

こちらの方が好みかな。

 

いずれにせよ、以前店内混雑もなく、ゆったりとしたテーブル席で鳥刺しを食べたあの鳥茶屋は

もうなくなったんだなぁとしみじみ。

 

 

 

その鳥茶屋から少し行ったところには浄瑠璃坂があり、

浄瑠璃坂の仇討があった場所として案内板が立っています。

 

赤穂事件、伊賀越えの仇討とともに江戸の三大仇討と呼ばれている、との説明。

 

発端は、”戒名の読み方を巡る刃傷沙汰”、というからびっくり。

そのせいで一人が切腹し、ひとりが官職取り上げになり、

仇討の機会をうかがって、、、といった流れだそう。

 

今流行りのバタフライ効果しかりで、物事の発端をたどると

得てして、え?そんなこと、といったことになるのかも。

 

 

 

ちなみにマルセル・プルーストもジャン・ロレンという物書きと決闘したことがあります。

20世紀にはいるちょっと前。

当時、まだ、決闘なんていうものがちょくちょくあったようです。

 

こちらのきっかけは初期の自作をけなされたうえ、特定の男性との交際を暴露するような

ことを書かれたため。

もっともロレン自身も同じ類の人だったので(=男色)、

プルーストの華やかな交際が気に食わなかったようです。

 

とはいえ決闘状をつきつけるところまでは真面目でも、

そのあとは相手を打つ代わりに地面に発砲して終わり。

決闘も形骸化していたようです。