新宿区にある漱石山房記念館の敷地内には道草庵と称する庵があります。
前から気になっていたけれど、コロナ渦ということで
この小さな小屋に入るのがためらわれ遠巻きに見るだけでした。
最近、漱石の長襦袢が展示されたのを機に再び訪れ(展示はすでに終了)、
感染者も減ったことだし、と中へ。
展示ケースのなかには、橋口五葉が装丁を担当した
初版本が、複製ではありますが、並んでいました。
五葉は、以前記したとおり、漱石の原稿用紙デザインも手掛けています。
(下の写真3枚以降。記念館内は写真撮影NGだけど、この道草庵は撮影OK。)
薄い青地のものが多く、涼し気なものが多い印象です。
展示室の方には、画家・津田青楓が手掛けた「道草」もありました。
津田も、漱石と交流があったひとり。
津田の装丁本の解説によると、
「(津田に依頼したら)高くついてしまったよ」みたいなことを
漱石はつぶやいていたのだとか。
書に寄り添いつつ控えめに、という雰囲気が漂う五葉の絵とは異なり
津田青楓の装丁は、より自己を主張し、独自の美を追求しているふうに感じます。
津田と言えば東京都国立近代美術館が所蔵する小林多喜二の壮絶な獄死の絵が
強烈に印象に残ります。
写真を撮っているはずだけど、すぐ出てこないので今夜は断念。
それゆえ、プロレタリアアートに結びつく画家として津田は短命だと勝手に思い込んでいました。
ところが、今回調べてびっくり。
98歳まで生きていたとは・・・
没年は1978年でした。
そういえばちょうど今日、津田青楓の展覧会が松涛美術館で始まったはず。
図案が出ているようなので、小林多喜二のあの悲惨な絵とはずいぶん趣も異なることでしょう。
さて、漱石山房記念館ですが、作家終焉の地に建てられてはいるものの、
現在庭にあたる部分に書斎があったと知りました。
これが道草庵。
初版装丁本の複製の数々。すべて五葉です。
津田の名前はここにはないけど、展示室のほうに、交流のあったひとりとして掲示されています。
当時の漱石の住まい。
書斎は記念館内に再現されてます。
漱石の書斎は右手の木の周辺に位置していたと。
私が行ったのは、紫陽花が先始めの頃。
そして連休中に早稲田近辺を歩いていたところ、漱石生誕の地なる石碑を偶然見かけました。
漱石は牛込を中心に新宿区内のあちこちに住んでおり、
道草にも兄の住まいとして区内の地名が出てきます。
漱石山房記念館の館長さんは、漱石のお孫さん。
最近祖父に関する本を出版されています。
その本の中に”ドラマ「夏目漱石の妻」”という章が設けられ、
NHKで放送された同番組のことをけなしていました。
主演の2人の名前を出したうえで、祖母鏡子のイメージが女優さんと重ならなかったので戸惑ったが、まあまあ及第点を上げてもよいかと思った。
しかし3回目は”ひどかった”と、時代考証について不服だった模様。
特に鏡子さんがはいていた色足袋があり得ない、として、
それを見ただけでもうストーリーなんてどうでもよくなってスイッチを切ってしまった。昔を知らない,知ろうとしない人にテレビドラマなんて作ってほしくないな、とつくづく思った。
(ただし、原作の「夏目漱石の妻」は、漱石ファンには必読の名著、と推しています。)
これらのコメント、SNSで不満を述べるより、拡散度は低いものの、
一過性のSNSとは異なり、書という印刷物として延々と残り続けるわけで。
時代考証その他に不満でテレビのスイッチを切ったそうですが、
このくだり、怒りにまかせて書かれた印象で、
私はこの数行を読んだ途端に本を閉じました。