1636年5月24日に70歳(満68歳)でこの世を去った仙台藩祖の伊達政宗。
戦乱のさなかに討たれたわけでも、切腹したわけでもなく、食道がんによる自然死だったそうです。
亡くなる1カ月前ほどから体調不良を訴えていたものの、参勤交代で江戸入り。
病状は悪化の一途をたどり、亡くなる数日前には家光の見舞いを受けたとか。
昔の人らしく、身を整えて無理をしてお迎えした、、、という一節をWikiで読み、以前訪れた聖徳記念絵画館にあった岩倉具視を見舞う明治天皇図を思い出しました。
明治天皇をお迎えするにあたり、弱ったからだを床の上で起こし、お嫁さんが背中を支えている図です。
手前では岩倉氏の母親が畳に頭をこすりつけて恐縮していました。
光栄なことではあるけれど負担ではあったことでしょう。
政宗はその数日後に上屋敷で亡くなります。
その上屋敷があったのがこの場所です。
日比谷公園。
日比谷公園の心地池、庭球場、小音楽堂のあたりは伊達家の上屋敷(外桜田上屋敷)だったようです。
具体的には、仙台藩伊達政宗から三代綱宗の時代、1601年に徳川家康より与えられ、1661年まで上屋敷として使用された由。
政宗の時代に家康、秀忠、家光の三代がそれぞれ3-4回ずつここを訪れもてなされた、と聞けば、日比谷公園に新たなイメージが加わります。
この看板があるあたりは大きな石(岩)が配置され、どことなく当時をしのばせます。
実際一部江戸時代の石垣も残っています。
1614年熊本藩の加藤忠弘により石垣が構築されたそうです。
(1618年には伊達政宗により門の石垣が構築されたものの現在は撤去。)
この心字池は公園造成時にできたもの。
上から見ると心の崩し文字になっているのだとか。
日比谷公園にも梅がありました。
そろそろ見ごろを迎えています。