これまで2度ほど触れたことがある神楽坂にある赤城神社

 

隈研吾さん設計で斬新、グッドデザイン賞も受賞するなどあまりにモダンなので、創建年などノーチェックでした。

今日ひょんな拍子で調べたところ、想像以上に古くて驚きました。

 

社殿は何度も燃えて、その都度建て替えられているので、外観はある意味別物ではありますが。

 

 

そもそもこの神社を知ったのはリフォーム会社の方のお話でした。

担当者の方が建築関係に当然ながら詳しくて、隈研吾氏の話が出た時に、新宿に神社も作りましたしね、なんていうことをおっしゃっていて。

へえそうなんだと。

 

訪れる機会がやってきたのはそれからしばらくしてから。

といっても日仏学院から歩いて行けるので、帰りにいくらでも寄れるのだけど、飯田橋駅と逆方向なのでわざわざ行く気もせず。

 

そんな矢先、大人気のクリームパンのお店「神楽坂 亀井堂」 が神社正面にあると聞き、それならば、とクリームパン目当てでいきました。

 

パンのほうは塩気が結構きいていて、大きいし、人気なのは納得だけど、個人的にはアートブレッドの薬王寺クリームパンの方に軍配かな。

 

とはいえ「神楽坂 亀井堂」は、コロナの最中に閉店してしまったと聞きました。

さらにアートブレッドさんまでもが、もうすぐ茨城県に移転してしまうといい、

もう残念で仕方ありません。

 

 

さて、クリームパンに気おされ気味な赤城神社ですが、Wikiをたまたまみて、意外に古い神社だと知りました:

鎌倉時代の正安2年(1300年)、上野国赤城山の麓から牛込に移住した大胡彦太郎重治により、牛込早稲田の田島村に創建されたと伝わる

 

 

上記に書かれている大胡氏は、ご子孫が牛込とも名乗っていて、宗参寺にお墓があります。

神社の入り口には、このような史跡の印。

 

 

お墓の敷地、広い~。

 

 

 

 

こちらに立っている石碑は、古い昔のものを昭和に模して造られたようです。

 

 

 

牛込と大胡の文字が見えます。


 

昭和54年3月に今のご当主が作られたと。

 

 

 

 

蓮の浮彫。

手が込んでいます。

 

 

 



で、この大胡家の方が、あの赤城神社にかかわっていたということのようです。

 

 

ちなみにこの神社、古いお墓がちらほら目につき、江戸時代の丸みを帯びたお墓もいくつか見ました。

丸みを帯びた=雨が石を穿った例です。

 

↓こちらのお墓は慶應年間だったかな。

 

古いお墓のなかには新しいお墓が寄り添うように作られているケースも多く、血筋が途絶えていないからこその江戸時代のお墓、と実感します。

 

 

それとは逆に、結構新しそうなお墓なのに、警告カードが貼られたものもありました。

長年放置されたお墓らしく、いついつまでに申告がなければ整理する、といった内容の。

 

 

江戸時代の古びたお墓のすぐそばにはロッカー式の共同墓地もあり、お墓事情今昔といった感じです。

 

 

 

 

赤城神社再掲: