先日東京女子医科大学前を通過したときのこと。

彌生記念教育棟というのが目に入り、彌生さんって誰?と気になりました。

 

その名が冠されるほどの方なので医療に貢献した女性なのだろうな、と。

 

 

検索したところ、吉岡彌生という女性の方がヒット。

 

日本の女子教育の基礎を作った人として有名と。

WIKIに例としてそうした教育者たちの名前が列記されています:津田梅子、鳩山春子、跡見花蹊、下田歌子、、、このあたりは知っていたけど、この方のことは恥ずかしながら知りませんでした。

 

 

うち、跡見花蹊さんのことは本ブログにちらりとだけ登場済み。

山本有三記念館に行ったときの話を書いたときに軽く触れました。

山本有三の再婚相手を紹介したのが花蹊さんの養女で跡見女学校の学長、跡見李子氏だったこと、桜の画家・跡見玉枝さんと縁戚である、、など。

 

 

下田歌子さんは、山梨県美で林真理子展を見たときに、歌子さんをモデルにした「ミカドの淑女」」がなにやらすごそう、と書きました。

実践女子大の向田邦子さんの居室再現コーナーそばには、歌子さんのコーナーもあります。

 

 

鳩山春子さんは鳩山記念館の庭で銅像を撮影してきました。

朝倉文夫氏の作として知られた銅像です。

 


 

 

一方、肝心の吉岡彌生さんについては知識ゼロ。

ネットでにわかに読み漁っただけ。

 

それによると、日本で27人目の女医さんになった方。

内務省医術開業試験に合格し開業=>現日本医科大学の済生学舎が女子生徒入学を拒否したことから、自分で女子医大を創設した、、、なんとも行動派です。

 

大学の創始者の方となれば、記念館に名を冠すのもうなずけます。
 

 

 

 

そこで思い出すのが荻野吟子氏。

吉岡彌生さんが改定後の内務省医術開業試験の27人目の合格者だとすると

吟子氏は第一号。

 

試験に受かってもそれでもなお、男性社会の壁にぶちあたり、医師として大成するのは難しかったようです。

男性社会の荒波に身を投じるきっかけは、夫から淋病を移されたこと。

それがもとで離婚。

男性医師の診察が恥ずかしくて医師を目指したという背景があります、

 

 

雑司ヶ谷には荻野吟子氏のお墓があり、ひときわめだっています。

 

 


 

ちなみに東京女子医大の創始者・吉岡彌生さんの記念教育棟のそばには草間彌生記念館があります。