2日前に画家・和田英作の話(和田氏が福沢諭吉の肖像画を描いた話)を書いたのには訳があります。

関連する話題を2つほど続けたかったから。

そのひとつが、またまた話は横浜関連になりますが、例の開港記念会館の壁画と天井画を手掛けたのが和田英作だった、というもの。

 

とはいえ今やまぼろし。

直後に関東大震災で壊滅的被害を受け、できたばかりの作品は消失します。

 

幻の壁画と天井画の”不存在”にを知ったたのかというと、きっかけはこの2つの絵でした。

開港記念会館2Fの壁に対面して掛かっています。

 

 

 

 

作者を見ると:

 

 

横浜村の情景を描いたということは、この開港記念会館用に受注して描いたと思われます。

この絵自体は小さくはありませんが、開港記念会館を飾る記念碑的な絵としてはやや中途半端な大きさだなぁという印象。

位置的にも存在感がやや薄いのです。

 

そんなことを心の中で問答しながらしげしげ眺めていたら、スタッフの方が来て教えてくださいました。

 

当初壁画だった絵が関東大震災で失われた後、同じ和田氏に絵画として再生してもらったと。

 

当時の壁画がこれ。

 

 

絵画に落とし込んだものがこちら:↓

 

 

以前壁画があった、丸みを帯びた2面角の部分には今はなにも描かれていません。

 

 

幸か不幸か、関東大震災は開港記念会館が完成した直後に起こったため、再現が比較的やりやすかったのだとか。

 

ただし、同じく和田氏が手制作した天井画は、復興を急ぐために再生はされませんでした。

でも当時創作直後の天井画の写真が残っています。

 

聞いたところでは、天井画の政策は、ミケランジェロが足場を組んでシスティーナ礼拝堂の天井画を仕上げたのとは異なり、地上で描いてから後で天井に設置したそう。

なのでこういう記念撮影が可能になったのですね。

 

 

 

現在天井はこんな感じです。

 

 

ひっそりと2Fホールに掛かっている2枚の絵に、そんなエピソードがあったとは。

 

絵が描かれたのは昭和2年と解説に書かれていました。

大正12年に関東大震災があり、複製画が完成したのが昭和2年。

 

壁画と天井画の喪失による落胆を、新たな創作への力に変えたことでしょう。

そう思いつつ改めて見ると、ひっそりとたたずむ比較的地味な色合いの2枚の絵になにやら静かな力を感じました。