先日山梨県立文学館で林真理子展を見た後、文学系の展示をもっと見たくなって、鎌倉文学館へ足を運びました。

丁度「川端康成 美しい日本」展が始まったところ。

 

文学館というと世田谷文学館や神奈川近代文学館(「ポール・クローデルと日本展」や「須賀敦子の世界展」は実によかった)など、たまに行くと絵画とはまた一味違った刺激を受けます。

 

なかでも鎌倉文学館は、展示内容以外にも”建物”という見どころがあるのが非常に魅力的。

なにしろ旧加賀藩主前田家の別邸をそのまま利用しているのですから。

 

館内資料によると、もともとは明治23年頃にこの地を前田家が入手したのが始まりで:

第15代当主の前田利嗣氏の館として建設=>消失=>洋風に再建=>関東大震災で被害=>建て替え=>第16代当主・前田利為氏が改築(<-いまココ)

 

という状況のようです。

 

庭にあったプレートで現在の建物の施工者を確認したら竹中工務店!

そんな古くから竹中工務店って存在したの?と一瞬思ったけれど、前田利為氏が改築したのは昭和11年。そんな昔のことではなかったのです。

それでもとりあえず竹中工務店の創業年を調べたら、なんと1610年。(神社仏閣造営がスタートだった模様)

御見それしました。(ただし会社設立は明治期)

 

文学館内にあった前田家別邸時代の写真を見ると、屋根が茅葺でした。消失前の建屋なのでしょう。

今は瓦葺きです。

 

この別邸は佐藤栄作元首相が借り受けたり、文士が訪れたりするなど、社交の場にもなったようで、文学館への転換にはふさわしい印象です。

 

 

 

この前田氏別邸に関し、館内で面白い解説を読みました。

三島由紀夫がこの別邸を取材し、「春の雪」のなかで触れているとのことなのですが、一部事実を改変しているとのこと。

 

具体的には、

青葉に包まれた迂路を登りつくしたところに、別荘の大きな石組みの門があらわれる。王摩詰の詩の題をとって号した「終南別業」という字が門柱に刻まれている。(「春の雪」)

 

というくだりのうち、上記下線部分は創作で、「終南別業」という門柱の題字など、元から存在していなかったそう。

 

その門柱、今はこんな感じです。

 

 

現在、門柱の題字はもちろんこれ:

 

 

庭には女性像がひとつ。

こういう彫像があると、すぐ作者を詮索したくなる私。

題名は:「Regard Lointain (遠望)」と、ランス語+日本語でつけられています。

作者にはT.Takataの文字。

 

高田博厚氏でした。

この方、フランス時代の作品をすべて破壊したとかで、高坂彫刻プロムナードや美術館の所蔵品は別にして、パブリックアートとして作品を見る機会はあまりない気がします。

 

それでも知る人ぞ知る彫刻界の重鎮で、滞仏中は、作家ロマン・ロラン、画家ジョルジュ・ルオーや後期印象派の画家で点描画を極めたあのポール・シニャックと交流があったというから驚きです。

 

 

 

 

館内撮影禁止なので、とにかく外回りだけじろじろ見ては写真に収めていたところ、こんな札を発見しました。

「七(?)楽山荘」。

とりあえず、ググったところ答えをゲット。

 

=>(関東大震災の後の改築時)鎌倉時代、長楽寺があったことから「長楽山荘」と名付けられたそうです。

昔の名残りなんですね。

そして「七」みたいな字は「長」。言われてみればそうか、「長楽山荘」。

 

 

 

庭をそぞろ歩きするうちに、”こちらの広-い芝生でお弁当を食べてもいいですよ”、といった看板を発見。

ただし、「トンビに食べ物をさらわれないように注意のこと」と。

えー、トンビがそんなに頻繁に出没するのー?と空を見上げればーー

 

 

 

確かに、結構頻繁に飛来しているではないですか。

これは要注意ですね。

もっとも私はお弁当を広げたくてもそんなものなど持ってきていませんが。

 

いやあそれにしても、庭は広々しているし、室内の細部は凝っているし、展示とともにかなり楽しめます。

 

 

 

長くなったので、肝心の川端康成展には触れることなく今日の書き込みはこれにて終了。

次回に続きます。