江戸東京たてもの園の続きです。
ここには、取り壊され、滅びゆく運命にあったものの、価値が認められ移築・救済された建物が30軒ほど並びます。
ただし、かつて”都内に”建てられていたもの、という条件付きですが。
一番見たかった建物は、なんといっても前川國男氏の邸宅。
東京文化会館や東京都美術館など、いまでも人々に親しまれている公共建築を手掛けた、言わずと知れた建築界の巨匠です。
前川氏といえば、今日「おはよう日本」で知ったのですが、かつて師匠のル・コルビュジエとともに船の改修にも関わったのですね。
その船は今セーヌ川停泊中に増水で浸水。日本人建築家の働きかけで水抜きが行われ、蘇らせる動きがあるとのこと。
日仏の架け橋、といったタイトルでニュースになっていました。
船名を調べたら、「アジール・フロッタン」らしいです。
となるとスペルは(l')Asile Flottanとなり、浮かぶ収容所?!
そうかこの船、一時難民の避難所として活用されていたという説明もありましたっけ。
そんな前川氏が自身で設計した東京都品川区上大崎の自宅が、この江戸東京たてもの園の地で蘇っています。
元の建物の竣工は1942年。
既に物資不足のさなかでの建設だったようです。
そして1956年(昭和31年)に改修されたのち、氏の存命中、1973年には解体されてしまいます。
しかし部材は残っていたようで、さらに建築家の建物だけあって図面はしっかり残されていたため、改修前、すなわちオリジナルの1940年代の姿で、ここに蘇りました。
一方で、内装のほうは昭和30年代の様子を再現した由。
さすがに戦前の建物内部を再現するのは無理だったのでしょう。
目下コロナ旋風のせいで内部は立ち入り禁止。(なのでタイトルは、自邸見学、でなく見物、にしました。)
事前に承知していたので、手のひらに収まる光学10倍ズーム付きのコンデジを持参しました。
自分自身が入室できなくても、立ち入り許可の場所から手を伸ばしてこれで撮れば、結構広角なので、目で見える範囲以上に画像でとらえられそうだから。
見る気満々です。
こちらは正面ですが、こちらからアクセスはできません。裏から門を入って、一部のぞき見できるようになっています。
正確には、玄関の靴脱ぎ場まではOKです。
玄関口からお宅を拝見。左手の方にリビングがこのように展開しています。
窓が素敵。上部は障子ではないものの、障子と同じ格子を使って連続性を持たせている感じ。
リビングで目を引いたのがこの大きな扉。(コンデジで手を伸ばして撮影)
存在感があります。
しかも、ドアの取っ手の反対側が蝶番で留まっていません。
タイムリーにも、前川邸見物後、先週土曜のテレビ番組「名建築で昼食を」で、ちょうどこの前川邸が取り上げられていて、この扉が回転扉であることが披露されました。なるほど、回転扉か・・・疑問氷解!
蝶番で動くスタイルでなく、縦に軸が入っているようで、その軸を中心に回転しています。
回転扉はル・コルビュジエも使用していたそう。
本邸宅は2F建てですが、2Fのスペースは1Fの半分ほどで、前面は吹き抜けの開放的な構造です。
2F部分の床裏がこういう形で見えていて、階段と一続きのリズム感を感じます。
そしてこれは外にもつながっているようでした(★)
書斎は玄関正面。上部に格子模様が見えます。
デジカメを目いっぱいズーム。
電話の隣になにやら正体不明のものが置かれています。
そういえば、向田邦子さんの書斎の再現を見た時(実践女子大内で以前公開されていました)、電話の横にごっつい装置があり、かなり早い時期の留守番電話の機械とのことでした。
この留守電の中には、彼女が帰らぬ人になることも知らず、不在中にいくつか録音が残されていたと聞きました。消去せずに残されている、とも。
床にうず高く積まれた白紙の原稿用紙の山が床の上にいくつもあって、それが悲しみを誘いました。
無数の文字で埋め尽くされるはずだったのに、それを絶たれた経緯が、いかに唐突だったかを物語っています。
脱線しましたが、電話の隣の2つは、留守電装置ではないようだし、左手のものはゼンマイっぽい感じ。右はラジオかなぁ。。。
不思議な昭和の遺物です。
近代的なリビングダイニング。この様式は、改修時になされたものなのかどうか。
1942年当時にすでにこのスタイルだとすると、ちょっとモダンすぎます。
欧州帰りだからあり得なくはないけれど。
家具もご自身で手掛けたはずですが、ダイニングテーブルは意外にシンプル。
座面の曲面の作り方などには工夫もあるのでしょうが。
坐り心地よさそうな応接セット。
丸テーブルは、周辺部分が盛り上がっている作り。
椅子は脚が5つで中国風の香り・・
小さいけれどキッチンとダイニングの間にカウンターを発見。
キッチンカウンターなんて、この当時ではまだ珍しかったことでしょう。
カウンター越しに見える冷蔵庫らしきものの正体を確認したくて、家の外にまわって窓ガラス越しに中を眺めました。
壁はタイル張り、白い基調。
冷蔵庫の銘柄はサンヨーでした。
これも忠実な再現と見ていいのかな。
あちこちのぞいてみたところ、ピアノと洋画がありました。
絵画は他にもあってーー
家の正面から柵越しにほんのちらりとこれが見えました。
複製でしょうがミロともちょっと違うし、いずれにせよ抽象画でした。
コンデジのズームをめいっぱい10倍にしてなんとかキャッチしたものです。
外側のこの構造を見ると、1F部分は、家の裏側では少し引っ込んでいて、2Fがせり出した格好であることがわかります。
上記(★)で触れたとおり、1Fから2Fの床裏を見た時に横木が渡されている構造でしたが、それが屋外にもつながっているのがわかります。
このように2Fがせり出して庇のようになっていますが、その下は縁側にはなっていませんでした。
華奢な柱が控えめに自己主張しながら立っています。
正面の白いブロック塀には四角い穴。
もともとの設計図にでもそうなっているのを確認。
そして家の裏側を眺めていて、あることに気づきました。
ところどころで緑のライニングが効いています。
雨樋や、窓の上下など、緑青のような塗装がされてしゃれたアクセント。
窓にある上部の緑のラインは特にシェードになっているわけでなく、単なるライニングみたいです。
↓左上の写真が、窓上部です。その隣が窓下部。
下の写真の中央右は窓からのぞいた台所。
品川区、社会福祉協議議会正会員のプレート。
ほかに「犬」というタグも貼られていたので、犬も飼っていたのでしょう。
固定資産税家屋調査済証なんていうプレートが各家屋につけられていた、、、
そんな時代があったようです。
室内には図面の展示も。
(立ち入り許可エリア内で、コンデジで写真が撮れる範囲で撮影。自撮り棒は一切不使用です。)
ちょっとびっくり、女中部屋があったらしいです。
(追記:だって室内は1970年代の改装後の再現のはず。ということは、70年代にもそのまま女中部屋を温存したということですよねぇ。)
玄関からは中は覗けませんでしたが。
拡大:
森美術館の展示で見た丹下健三氏の自邸やアントニン・レーモンド氏の軽井沢の自邸などと同様に、木材を多用した落ち着いたたたずまいの家でした。華美な部分は一切なく。
多くの建築を手掛けた巨匠たちが行きつく”住み心地”というのは、大体こういうところに落ち着くのでしょうか。
レーモンドの自邸を模した邸宅も高崎で見てきたのでいずれ写真を出したいと思います。
・江戸東京たてもの園に関する前の記事:子宝湯