以前「ホテル雅叙園東京の神対応に感謝」の記事に書いた通り、雅叙園のメンバー宛に優待券が送付されてきたため、いつか宿泊せねば、と思っていました。
このほどやっと念願をかなえ(詳細は後日)、宿泊者専用のアートツアーに参加。
一般非公開の宴会場や神殿は、聞きしに勝る絢爛豪華さでした。
さて、そのツアーの最後に特別に見せてもらったのが、こちらの旬遊記。
つい先日ランチを食したお店です。
実はこのお店、知られざる大きな秘密があったと今頃知りました。
まずこの旬遊記は、雅叙園の突き当りともいうべき奥まった場所にありますが、ここにはかつてある邸宅があったといいます。
創業者 細川力蔵氏がこの広大な敷地を買い取った際に、その邸宅が含まれていたのですが、その事実があまり認知されておらず、つい最近になって---
・この中華店の一角は、日本郵船・専務取締役の岩永省一邸宅だった;
・その邸宅の設計者は、鹿鳴館、岩崎邸、三菱一号館などの設計者・ジョサイア・コンドルだった;
・旬遊記の個室2部屋“玉城”と”南風”は、岩永邸の残りを活用して作られているため、洋風の佇まいを残している;
と判明しました。
まずは“玉城”。
既に雅叙園仕様で和風に設えられているので、一瞬コンドル建築の名残りはないように感じますが---
*写真は館内ツアー参加の一端として許可を得ています。
よく見るとマントルピースがあります。
この和柄に暖炉というのはいかにも違和感です。
コンドル作という説明を受ける前に、これは洋風建築の転用かな、と私が気づいた理由がまさにこのマントルピースゆえでした。↓
また、この螺鈿が美しい回転テーブルは、現存最古ともいわれるもので、実は中華料理店の開店テーブルは雅叙園が発祥という説明がありました。
当時、着物の袖が邪魔で料理盛り分けが大変。それを見たオーナーの 細川力蔵氏が、考え付いたものだそう。
中国でもなく日本の雅叙園が発祥、というのは、横浜中華街の方たちの間では有名な話なのだとか。
残念なことに細川氏はこれの特許を取っていなかった、もし取っていれば・・・・などというこぼれ話もありました。
上と同じテーブルです。光の加減でちょっと違って見えますが、華やかで料理の汁をこぼしたりしたら焦っちゃいそう。
この部屋は個室を予約した方たちのみ立ち入りが可能なので、前回店にお邪魔したときにはまったく気づきませんでした。
個室「玉城」は、絵師・益田玉城の美人画で飾られています。
モチーフは東芸者の花見踊り。うかれ踊る様子が華やかに描かれます。
天井にある木彫は、百段階段と呼応するかのよう。
ちなみに雅叙園としてこの店がオープンした当初は座敷だったため、ドアのノブがこんなに低い位置に設置されています。
当時は給仕さんが、膝まづいてドアをあけたことがわかります。
今はコンドル時代の再現として、カーペットに替わっています。
さて、次の部屋”南風”ですが、こちらは更に洋風です。そう感じる理由はー
この局面に並ぶ窓です。
やはりコンドル作の旧岩崎邸の曲面ガラスを少しだけ彷彿とさせます。
こうした曲線使いもやはり最初に見て、不思議だなぁと思っていました。
洋風建築の名残りと知り、納得。
こちらの部屋の円卓は少しシンプル。
つがいの鳥でしょうか。吉祥の模様のように感じます。
”南風”は草木でびっしりと囲まれ、やはりマントルピースがあります。
そうそう、暖炉の上に鏡というのは、西洋でよく用いられた組み合わせだそうですね。
先日ミュシャ美術館の学芸員さんのリモート解説でそんな話を聞きました。
天井はこちらも草花の木彫。
お隣の部屋とは、灯の形が異なります。
さてこのお店、入り口天井に白い龍の絵がありますが、原画の作者は、個室部屋のネーミングにも使われている堅山南風です。
それから、ただ単なる赤い壁と思っていた入口左手のこれは、立派な作品だそうで、東山魁夷の原図に漆芸家 全龍福が赤い螺鈿を施したものと知りました。
中華料理店らしく、魚やエビなど魚介類が描かれています。
例えばこちらはタコ。
残念ながら、摩滅していて、必死で探さないと見えてきませんが^^*)。
ということでこのアートツアー、片隅の中華料理店ひとつとってもゴージャスな装飾ぶりで、まして宴会場ともなると何をかいわんや。
ここで結婚式を挙げるのは、美術鑑賞も兼ねられるのねぇ、、などと思いきや、挙式の際はこうしたガイドツアーによる説明はないので、結婚式を挙げて数十年経ってからこのツアーに参加し、初めて式場に描かれていた絵の意図を知った、というお客様もいらしたそうです。